2026年 米・イラン戦争イメージ

【連載コラム 第1弾】花札野郎の放言に思う

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【連載 第2弾】東京を取り囲む米軍基地。それは「守護」か「監視」か。

第2弾:基地の配置が語るものを読む

――「歴史の格」と日本の自立

2026年4月、海の向こうの「花札野郎」がまたもや騒がしい。
復活祭を祝う昼食会で、ホルムズ海峡の安全確保を「日本が自分でやれ」と放言したというのです。不動産屋上がりの成金らしい、相変わらずの自分勝手な理屈ですが、私はむしろこれを「絶好の機会」と捉えるべきではないかと思うのです。

中東地域の衛星地図イメージ(イラン・ホルムズ海峡周辺)

イランという国は、数千年の歴史を誇る誇り高い国です。建国から数百年足らずで「世界の警察」を自認する国とは、失礼ながら「格」が違う。かつて田中角栄氏が米国の制止を振り切り、イランとの独自ルートで日本の石油を守ろうとした「日章丸事件」のような気概を、今こそ見せるべき時です。イランと直接対話し「復興を支援するから、海峡を通しておくれ」と握る。花札野郎が文句を言ってきたら「あんたが自分でやれと言ったじゃないか」と言い返してやればいいのです。

イラン(古代ペルシャ)の遺跡ペルセポリスに残る、冠を被った王(または高官)の横顔を刻んだ石造りのレリーフ。数千年の歴史と文化を象徴する。
古代ペルシャ(現イラン)の都ペルセポリスに残るレリーフ。
数千年の連綿たる歴史と高い文明は、現在のイラン国民の誇りの源流となっている。

そもそも、有事に米国が兵を出して助けてくれるなどという幻想は捨てるべきでしょう。東京を取り囲むように横須賀、厚木、横田、百里と基地が配置されているのは、一体何のためか。敗戦後の日本が再び強大になり、彼らの脅威にならないよう見張るためではないのか、という視点も忘れてはなりません。

ベトナム、イラク、アフガニスタン……。過去の歴史を振り返れば、米国が自国の利益にならないことには手を貸さないのは自明の理です。自分の蒔いた種で騒ぎ、難癖を付けては力で押し通す。そんな「品性」や「倫理」に頼り切るのではなく、二千年以上の歴史を持つ日本こそ、もっと毅然とした態度で世界に向き合うべきです。

政治の世界では、かつての指導者のように「米国に逆らえば消される」という恐怖があるのかもしれません。しかし、真に国民を守る覚悟がなければ、長期政権などあり得ません。

……と、ここまで書きましたが、これはあくまで私の「妄想(悪魔でも?)」です。

この文章には、少々不適切な表現や独断、あるいは言語の変換ミスが含まれているかもしれません。そこは私の「教養(強要?)」不足として、笑い捨てていただければ幸いです。
もちろん、全能の神を信じる皆様を否定するつもりは毛頭ございませんが、たまにはこんな「間違う人間」の独り言にお付き合いいただければと願っております。

【歴史の深掘り:日章丸事件と日本の意地】

今から約70年以上前の1953年(昭和28年)、日本はまだ戦後の貧しい時代でした。当時、イランの石油はイギリスの会社が独占していましたが、イランが「自分たちの資源は自分たちで守る(国有化)」と言い出したため、怒ったイギリスは海軍を出してイランの海を封鎖。世界中がイギリスを恐れてイランと取引しなくなりました。

そんな中、出光興産の創業者・出光佐三は、「資源のない日本が自立するには、大国に屈してはいけない」と、タンカー「日章丸」を秘密裏に派遣。イギリス海軍に見つかれば沈没させられるかもしれない命がけの航海でしたが、見事に包囲網を突破して石油を持ち帰りました。

また、原稿に登場する田中角栄元首相も、後の1970年代に石油危機が起きた際、アメリカの反対を押し切って独自のルートで日本にエネルギーを確保しようと戦いました。

こうした精神が、第2弾で語る基地問題にも繋がります。

日本とアメリカイメージ
【連載コラム 第2弾】基地の配置が語るもの

―「守護」か「監視」か、日本の自立を考える― 前回のコラムでは、米国の「花札野郎」こと前大統領の放言をきっかけに、日本のエネルギー外交のあり方について考えました。今回は少し視点を変えて、私たちが当たり ...

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