連載コラム
―「守護」か「監視」か、日本の自立を考える―
前回のコラムでは、米国の「花札野郎」こと前大統領の放言をきっかけに、日本のエネルギー外交のあり方について考えました。今回は少し視点を変えて、私たちが当たり前のように受け入れている「日米の安保体制」の裏側に潜む、歴史の皮肉について妄想を逞しくしてみたいと思います。
現在、日本には多くの米軍基地が存在しますが、その「場所」を冷静に眺めたことはあるでしょうか。特に東京周辺50km圏内を見渡すと、横須賀、厚木、横田、百里(現在は自衛隊との共用)と、まるで首都を取り囲むように配置されています。


これらは本当に「外敵から日本を守る」ためだけのものなのでしょうか。冷戦時代、真の脅威が北(ソ連)であったなら、基地は東北や北海道にもっと集中していても不思議ではありません。しかし、現実の配置は首都圏の包囲です。ここからは、敗戦後の日本が再び米国の脅威にならないよう、目を光らせていた当時の「見張り番」としての名残を感じずにはいられません。実際、東京の上空(横田ラプコン)の管制権を今なお米国が握っているという事実は、この国の「空」が誰のものかを物語っています。
歴史を振り返れば、米国が自国の兵隊の命を懸けてまで他国を助け続けるという楽観的な幻想は、現実味を欠いています。ベトナム、イラク、アフガニスタン……。彼らが歩んできた足跡は、常に自国の利益と直結していました。応援していたはずの南ベトナムの大統領が、最後には国を逃れ、異国の地で静かに暮らさざるを得なかった歴史を、私たちは忘れてはなりません。
【歴史の深掘り:南ベトナム大統領の「その後」】
コラムの中で触れられている「南の大統領」とは、かつてアメリカが全力で支援していた南ベトナムのリーダー、グエン・カオ・キ氏のことだと思われます。
彼はベトナム戦争の真っ只中、首相や副大統領として、アメリカから送られる莫大な資金や兵器を背景に権勢を振るいました。当時はアメリカの強力なパートナーとして、世界中から注目される存在だったのです。

しかし、戦況が悪化し、アメリカが撤退を決めると運命は一変します。1975年に国が敗れる直前、彼はアメリカ軍のヘリコプターで命からがら亡命しました。かつて一国のリーダーとして軍を指揮していた人物が、亡命先のカリフォルニアで始めたのは、小さな酒屋(リカーショップ)の店主としての生活でした。
【このエピソードが教えること】 大国が掲げる「支援」や「友情」が、自国の都合ひとつでいかに脆く崩れ去るか。一国の指導者ですら、最後は見捨てられて異国の地でひっそりと暮らさざるを得なかったというこの事実は、「自国を自分で守る気概(自立)」を忘れた時に、どのような結末が待っているかを物語る厳しい教訓といえます。
日本は2000年以上の連綿たる歴史を誇る国です。独自の文明を数千年にわたって維持し続けている国は、世界でも稀有な存在です。それだけの歴史を持つ国が、なぜ建国から数百年足らずの「一獲千金を夢見た合理主義国家」の顔色を、これほどまでに伺い続けなければならないのでしょうか。
かつての田中角栄氏のように、米国の圧力に屈せず、日本独自の道を切り開こうとした指導者たちの苦悩に思いを馳せます。今の政界のリーダーたちにも、大国の機嫌を損ねることを恐れる以上に、日本国民の誇りと未来を守るための「毅然とした態度」を期待したいものです。

……と、ここまで書きましたが、これはあくまで私の「妄想(悪魔でも?)」です。 言語の変換ミスや不適切な表現があったなら、そこは私の「教養(強要?)」不足として笑い捨ててください。たまにはこんな「間違う人間」の独り言にお付き合いいただければ幸いです。
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【連載コラム 第1弾】花札野郎の放言に思う
――「歴史の格」と日本の自立 2026年4月、海の向こうの「花札野郎」がまたもや騒がしい。復活祭を祝う昼食会で、ホルムズ海峡の安全確保を「日本が自分でやれ」と放言したというのです。不動産屋上がりの成金 ...