4月3日の新聞で、亜米利加国の「花札野郎」が、「ホルムズ海峡を利用している日本が自ら安全確保をやればよい」といった趣旨の発言をしたと報じられていました。
政治家(タカイチサン)は、なぜこうした好機を利用しないのでしょうか。イランはもともと日本に対して親日的で好意的な国です。日本独自でイランと接触し、「イランの復興をお手伝いしますから、ホルムズ海峡の安全な航行を通してください」と交渉すれば良いのです。 あの方(花札野郎)が後から「何をやっているんだ」と文句を言ってきたら、「あなたが自分でやれと言ったじゃないか!」と返せばいい。もっとも、あの花札野郎のことですから「そんなことは言っていない」と怒るのかもしれませんが(笑)。

むかし田中角栄さんは、石油危機の時にキッシンジャー氏に「日本の石油をどうにかしてくれる気はあるのか」と尋ね、「無い」と言われたことで、腹をくくってイランから日章丸で石油を運んだ歴史がありました。政治家の方々には、今こそそうやって日本国民を守る骨太な姿勢を見せてほしいものです。
日本は本当に守られるのか

そもそも、「日本が軍事的苦境に陥ったときに他国が自国兵の命を懸けて助けてくれる」などという甘い幻想を抱くべきではありません。
日本にこれだけの米軍基地が存在する背景を考えてみてください。東京から50km圏内を取り囲むように、横須賀、厚木、横田といった巨大な基地が配置されているのはなぜでしょうか。もし対ソ連(現ロシア)の防衛だけが目的であれば、東北や北海道により強固な基地を集中させるのが軍事的な合理性です。戦後、彼らが本当に警戒していたのは「日本の復活」とその潜在能力だったからに他なりません。

大国が戦後に辿ってきた歴史を振り返れば、他国を本気で救うことなどないというのは明白です。ベトナム、イラク、アフガニスタン……。「正義」や「大量破壊兵器」といった大義名分を掲げて介入しながら、自国の都合や利権が悪くなれば撤退する。イラクでの開戦理由や、今回のイランやウクライナを巡る動きを見ても、結局は資源や権益、自国第一主義の「正義」という名のもとに大国間のエゴがぶつかり合っているのが現実です。
かつて開拓や金鉱を求めて渡ってきた歴史や、自国の利益を最優先する大国政治の冷酷な力学の中で動いている連中です。自らの利益にならないことのために、他国を無条件で助けるはずがありません。そんな大国優先の姿勢を露骨に示す「花札野郎」に全面的に依存しようとする日本の政治家たちは、一体誰のためのリーダーなのでしょうか。
欧米主導の価値観や特定の宗教観に根ざした世界秩序は、時に他民族の歴史や独自の文化、文明を軽視し、自らのルールを押し付けてきました。しかし、世界には何千年もの独自の歴史や信仰を守り続けてきた国々が存在します。

日本もまた、連綿と続く2,000年以上の歴史と、神話に繋がる伝統を戴く独自の国です。他国の威光や押し付けられた「正義」に怯えることなく、もっと国際社会において自立した毅然たる外交を行ってほしいと切に願います。
……まあ、政治家の方々が米国の意向に従わざるを得ないのは、過去の歴史やさまざまな政治的プレッシャーを恐れてのことなのでしょうか?(まあ、これらはあくまで一過性の都市伝説や私の妄想の域を出ない話ですが……笑)。
今回も少々過激で個人的な独り言になってしまいましたが、日本という国の自主独立を思うゆえの呟きとして読み捨てていただければ幸いです。
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