ものすごくうれしいことがありました | 岡田建設オフィシャルサイト https://okada-kensetsu.jp 永く住み続けられる家づくり「一生お付き合い宣言 」 Sun, 24 Mar 2024 02:20:15 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=5.9.9 https://okada-kensetsu.jp/wp-content/uploads/2016/08/okada_logo50x50-1.png ものすごくうれしいことがありました | 岡田建設オフィシャルサイト https://okada-kensetsu.jp 32 32 ものすごくうれしいことがありました https://okada-kensetsu.jp/company/teaschool/2024_20_jan?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=2024_20_jan Sun, 24 Mar 2024 02:14:47 +0000 https://okada-kensetsu.jp/?p=4004 1月20日に、近くの老人施設で、お茶会のボランティアがありました。娘が以前から、ここのスタッフの方から頼まれてやっていたのです。入居者の皆様にお茶を点ててあげてふるまいます。コロナで4年くらい止めてい ...

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1月20日に、近くの老人施設で、お茶会のボランティアがありました。娘が以前から、ここのスタッフの方から頼まれてやっていたのです。入居者の皆様にお茶を点ててあげてふるまいます。コロナで4年くらい止めていました。「コロナが第五類に分類されたので、お茶会をまたやってほしい」という施設からのお話があり再開したものです。

 今回、18日に涵養庵の初釜で用意した結び柳も持って行くことができました。 お正月気分が出たように思います。 風炉・釜その他お道具類は、いつでも使えるように仕舞ってありますから出すことに困難はありません。 ただ施設において、お茶を点てるとか、お運びをするとか、お茶碗を洗うとかのお手伝いが必要です。施設のスタッフさんもやってくれますが、どうしても、茶道の経験者のお手伝いさんが必要です。このお茶会で、涵養庵でのお稽古に来ている中学生がお手伝いに来てくれました。 

以前からお話をしていましたが、自分は涵養庵の子供たちに着物を着て、お茶をやってもらうのを熱望していました。 自分も着物を着るようにしました。 お茶を続ける為の一つのネックは着物にあると思っています。今の時代自分の着物を持っている人が少ないのです。また着付けをすることができないことが多いのです。茶道は安土桃山の時代からのものです。当然着物です。その方が様になっているし所作もきれいだし、どこかそれなりのお茶会に行くには着物が必要です。

それをこちらで用意しているのです。 岡田建設で建築をされる施主様の中で、「片付けてください。処分してください。」と言われたりした着物を頂いて保管しています。ゆくゆくは茶道を習っている子供たちに着せたいがためです。着続けてくれるのならば、気にいった着物を差し上げても良いと思っています。そうすれば着物も喜びます。 

「着物を処分してください」と言われた方たちは、本当に断腸の思いではなかったでしょうか。思い入れのある着物を、ご自分の娘さんからもお嫁さんからも、いらないと言われて、泣く泣く処分するしかないと思われるのです。 「お茶を習っている子供たちに着せたいので、うちで頂いてもよろしいですか」とお話しするととても喜んでくださいました。

今回、老人介護施設でのお茶会で、涵養庵の生徒に着物を着てもらったのです。この子は小学校の三年生から涵養庵の稽古に通っています。以前から、サイズが合うようになれば着物を着てお茶をしてもらいたいとお話をしていた子です。 娘がその子に似合う着物を選び、帯を合わせ、着付けしました。 そして、施設でお茶を点て、ふるまいました。 

自分はその時には、君津のクリニックに治療予約していたので富津にいました。夕方に娘から、無事終わったよ、着物を着せたよ、良かったよ、とLINEが入りました。 すぐにLINEを送り返して、写真を送ってもらいました。  

かわいい!!!  すごく!  もう娘と肩を並べるほどの背丈になっています。ですから着物を着せることができたのです。 ちょっと派手目な柄の着物でしたが、ばっちりあっています。 やはり若さですね。着物を着た時の見た目が決して派手ではなく嫌味でなく、 素晴らしいのです。お茶会に参加した入居している人たちも皆が喜んでいたそうです。 

老人介護施設でのお茶会 
老人介護施設でのお茶会 子供茶道教室の真紀子先生と

一つ、夢がかないました。 写真を見ていて、少しかすんでしまいました。涙がにじんできたのです。うれしい。 本当にうれしい。 うれしかった。

昨年秋以来、熱中症、帯状疱疹、インフルエンザそれらに加えて尿道閉塞と続いていて、落ち込んでいた自分の気持ちが、いっぺんに吹き飛びました。 本当に春が来ました。 ありがとうです。

着物についての夢があと二つあります。

一つは富津の“しおさい工房”で子供たちに着物を着せたいというものです。すでに“しおさい工房”に十着程度の着物を持って行っています。ですからこれはまもなく可能と思っています。

出来れば着物を着てお茶を喫してもらいたい、点ててもらいたい。こっちはわかりません。 そして、お正月に着物を着てもらい、みんなで近所のお寺か神社に初もうでに行くなんていうのも見たいですね。 篠部の町が一気に華やぎますね。 それが現実になったら、近所の料理屋さんで、みんなに食事をしてもらっても良い気持ちです。もちろんこちら持ちです。

もう一つは、今小学校一年生の孫娘に着物を着せてお点前をさせたいというものです。孫娘は比較的背は高い方なのですが、着物を着れるようになるまで、あと何年かかるかな~。 自分自身がいろいろと大病をしているし、大丈夫かな~ ??  

頑張りたいな~。 頑張らなきゃな~。  がんばろ~!!!

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令和6年 初釜 https://okada-kensetsu.jp/company/teaschool/2024_ts_jan?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=2024_ts_jan Sat, 16 Mar 2024 02:13:11 +0000 https://okada-kensetsu.jp/?p=3994 年明け早々、能登半島の大地震発生、羽田空港での飛行機事故が起こり、コロナウィルスも変異して流行の兆しが見えたり、今年はどうなるのか?いう心配な事案が続いています。犠牲者の方々のご冥福をお祈りするととも ...

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年明け早々、能登半島の大地震発生、羽田空港での飛行機事故が起こり、コロナウィルスも変異して流行の兆しが見えたり、今年はどうなるのか?いう心配な事案が続いています。犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、被災されている方々には、心からお見舞い申し上げます。 

2024年 1月 涵養庵イメージ

そのような中で涵養庵茶道教室の初釜を開催しました。不謹慎のそしりを受けるかもしれませんが、お許しを願えればありがたいです。

まずは、コロナ禍の中で、広間としてのお稽古をした集会室で食事をしました。そのあとで涵養庵に移ってのお点前です。濃茶と薄茶を頂きました。そして初釜ならではの催し、福引もしました。

掛物春入千林処々鶯  矢野一甫 書         吉野フサ 様
一期一会     長谷川大真 書  (集会室) 吉野フサ 様
水指上野 雪柳水壺
茶碗濃茶 楽茶碗  大野九行  銘 ”母“      谷野 様
   萩焼   14代 坂倉新兵衛       安部 洋 様
薄茶 九谷焼  徳田八十吉           吉野フサ 様
   信楽焼  神山一陶 
   百福茶碗                 青山純子 様
   美濃焼  陶山窯  瓢の絵        珠乃先生
   京焼   亀甲模様            堀 照子 様
出し袱紗先生のお祖父様の袱紗            珠乃先生
水指上野 雪柳水壺               真紀子先生
平釜  角谷与斎              安部 洋 様
香合辰の絵 方形                北大路祥子 様
香合の下の袱紗唐子殿                     近藤芙美子 様
茶器茶入れ  瀬戸釉 肩衝茶入          真紀子先生
棗    独楽棗               真紀子先生
茶杓大網共筒茶杓  銘 “山川”          真紀子先生
抹茶 楽寿の昔   柳桜堂
清友の白   柳桜堂
結び柳  紅白の椿              青山純子 様
花入れ竹 一重切り                 安部 洋 様
菓子器独楽繋ぎ溜り塗                真紀子先生
干菓子盆
主菓子翠江堂  雪うさぎ
干菓子うさぎ堂

涵養庵の4年ぶりの初釜開催でした。昨秋以来病気が続きましたので、久しぶりに着物をきました。気が引き締まりました。そして皆でいただく食事もおいしく、その場は当然の如くお茶の話題でお話も弾んで、和やかなひと時を過ごせました。

2024年1月 初釜

お食事の後、涵養庵に場を移しました。まずは珠乃先生のお点前で、お濃茶を頂きました。

薄茶のお点前は、新社長岡田直也が勤めました。 

正直、涵養庵と集会室の2か所を準備するのは大変です。 体調が思わしくないとなおさらです。しかしながら、いつでもそう思うのですが、終わると「無事にできたな~ やってよかったな~ 喜んでくれたみたいでうれしいな~」なのです。

今年は一層健康に留意して、涵養庵のお稽古を続けていきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

来月のお稽古は2月29日を予定いたしました。ご参加をお待ちします。

2024年1月 集合写真
2024年 初釜
2024年 珠乃先生を囲んで

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ご報告   お詫び  https://okada-kensetsu.jp/etc/2024_0305_info?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=2024_0305_info Tue, 05 Mar 2024 03:39:35 +0000 https://okada-kensetsu.jp/?p=3984 こんにちは。 岡田建設のホームページを見て頂きありがとうございます。 そして、いつも拙い文章にお付き合いいただき心から御礼を申し上げます。  ここで一言お詫びを申し上げます。最近ホームページの更新が出 ...

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こんにちは。 岡田建設のホームページを見て頂きありがとうございます。

そして、いつも拙い文章にお付き合いいただき心から御礼を申し上げます。 

ここで一言お詫びを申し上げます。最近ホームページの更新が出来ておりません。 その理由は、このホームページの諸々、自分が書く原稿の内容についても表現が適切でないときなどの検閲などをやってくれております担当者が、年明け早々に病気になってしまい入院しました。 

こちらも昨秋から病気が続いていましたから、「もう病気が一段落すれば良いな、今年は良くなるのだろうな」などと思っていたところ、今年は年明け早々の能登地震から、航空機事故など出足に大変な災害・事故が重なり、前途多難な令和6年になりそうな気配を感じてしまいました。 

こんなことがあると、自分の災厄が飛んで行ったのかな?などと考えたりもしてしまいます。同時に、身近な人に飛んだのだとしたらものすごく申し訳ない事と感じてしまいます。

このところだいぶ回復していることを聞いておりますが、復帰にはもう少し時間がかかりそうです。 病人には気を使わせたり、負担をかけるわけにはいきません。 「ホームページを完全に休むのも何だかなあ」という思いもあります。 ですから、垢ぬけたことは出来ませんが、自分自身で出来ることをやってみようと思っております。 

このような次第ですので、今まで通りには行きませんが、細々と続けていきます。どうか笑って許していただきたくお願いいたします。 原稿や写真は、かなり在庫がありますので、復帰しましたらば、在庫整理させていただきます。

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令和5年12月 師走のお稽古 https://okada-kensetsu.jp/company/teaschool/2023_ts_dec?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=2023_ts_dec Tue, 05 Mar 2024 02:10:51 +0000 https://okada-kensetsu.jp/?p=3977 もう師走です。 令和5年、最後のお稽古です。 昨年は珠乃先生のご子息がコロナに罹ってしまったという事で、先生がお稽古してくださることが出来なかったので、参加された方たちでお茶飲み会形式にして開催しまし ...

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もう師走です。 令和5年、最後のお稽古です。

昨年は珠乃先生のご子息がコロナに罹ってしまったという事で、先生がお稽古してくださることが出来なかったので、参加された方たちでお茶飲み会形式にして開催しました。今年は皆様方は元気に参加していただきました。まだ体調がイマイチなのは自分だけです。

涵養庵の露地入り口のツワブキ、昨年は黄色い花が咲いていましたが今年は夏の異常な暑さの影響かだめでした。 その代わりと言いますか、テッセンの花が一輪咲いています。葉は茶色なのに。

庭には常緑樹が多いのですが、葉の無くなった梅、ハナカイドウ、楓などの落葉樹の枝を見て冬を感じています。

掛物 「無」の文字と達磨の絵
水指瀬戸焼 一重口
茶碗16日                 
百福茶碗  お福の絵         
京焼    サンタクロースの柄    
美濃焼   ピンクの絵付け      
京焼    瓢の絵
・21日
・萩焼    坂田泥
・信楽焼   神山一陶 
・高取焼   味楽
・京焼         
薄茶器棗  堆朱
茶銘薄茶  一保堂茶鋪  関の白
茶入れ丹波 文琳
阿弥陀釜
水差し瀬戸焼 一重口
建水曲げ物木地
炉縁樺桜  大工の製作
花入れ掛け 竹一文字切              26日
孔雀草 照り葉(レンギョウ)   25日
椿 照り葉(ドウダンツツジ)   30日
喰籠溜塗り  駒繋ぎ
主菓子16日  志むら サンタのセット
21日  岩邑堂 樅ノ木と星
干菓子16日  志むら
21日  小山園   田島様からのお品
12月子供茶道教室
12月子供茶道教室

16日は子供たちのお稽古、21日は大人の方々のお稽古でした。21日は、用意した萩と信楽の茶碗が大きかったこと、今年の締めくくりというもあり、急遽、お濃茶もお稽古しました。

今年も無事に済ませることができました。一年間大変お世話になりました。自分自身の体調不良が続いていた中で、皆様のご協力を頂き、今月、一年を締めくくれたことは本当に有難いことです。ありがとうございました。心から皆様に感謝申し上げます。そして、皆様方にとってくる年が今年よりも一層良い年になることをお祈りいたします。

来月は令和6年の初釜という事になります。今年、令和5年の初釜は、まだコロナ禍の最中で開催しませんでした。お初釜を1月18日に予定しています。 月す。

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新年のご挨拶-2024年 https://okada-kensetsu.jp/memorandum/20240107?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=20240107 Sat, 06 Jan 2024 16:15:39 +0000 https://okada-kensetsu.jp/?p=3971 令和6年の新春を迎え、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。 改めまして、あけましておめでとうございます。 皆様方に置かれましてはご家族皆で穏やかに新年をお迎えになられましたことをお悦び申し上げます。  ...

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令和6年の新春を迎え、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

改めまして、あけましておめでとうございます。 皆様方に置かれましてはご家族皆で穏やかに新年をお迎えになられましたことをお悦び申し上げます。 

お悦びもここまでです。今年のお正月は1日の夕方からテレビに釘付けになりました。能登半島で震度7という大地震が発生しました。それのより津波も発生したくさんの家屋が流されてしまいました。せっかく地方から久しぶりに帰ってきた個族との団らんも一瞬にして壊れてしまい、楽しく過ごすはずだったお正月が、大変な不自由な中での避難生活を余儀なくされてしまいました。 自分はこのような津波とかの映像を見ると、2011年3月11日を思い出しまだ涙がこぼれてきます。 あの時、自分は小脳梗塞を患ってまもなくで、自分たち家族のルーツで、多くの被災された親戚がいたのですけれども、自身が直接被災地に行き、お見舞いし、何らかのお手伝いもできませんでした。病気になって何もできなかった事が情けなかったことを思い出されるのです。その代わり、今度社長になった次男や長男が代わりに行ってくれたのを思い出します。

2日には羽田空港で航空機事故でした。能登に向かう予定の航空機に着陸した旅客機が衝突するという事故でした。ぶつけられた航空機の乗員5人が亡くなられましたが、旅客機に乗っていた400人近い乗客乗員には犠牲者が出なかったのは幸いでした。

 とんでもない事件事故で幕開けした令和6年です。 被災者の方々、事故で亡くなられたご家族の皆様には本当に申し訳なく思ってしまうのですが、自分自身としましては、病気続きの4か月を過ごしながらも、無事に新年を迎えることができた事が、ものすごく有難く感じられます。 

お知らせの通り、岡田建設株式会社の代表取締役は岡田直也になりました。 私が代表取締役になりましたのは40歳となった33年前でした。 本当に長い間務めさせていただきましたことは、皆様のご支援、ご鞭撻があったからこそと、心から感謝申し上げます。今後は岡田建設株式会社の3代目になります、まだまだ未熟な若い社長を 応援していただけますようにお願い申し上げます。

 出だしに躓いた感のある令和6年の新年に思う事は、何よりも健康を維持することという事になります。 そうでないと、新社長を後ろからさせることもできません。 10数年前の小脳梗塞以来、心臓などいろいろと病気にかかりながらも生かしてもらっていますが、いつお迎えが来てもおかしくはないとは思っています。今回もう少し時間を頂けたのかなと考えるお正月です。

 岡田建設の仕事は、新社長が前面に出て進めていきます。自分は銃後の守りと、社会貢献を少しばかり続けていきたいと考えています。 

これまでの保護司の活動はもう少しで定年になります。 茶道教室も現在の子供たちに“日本の文化を継承してもらいたい”という思いからやり始めた活動です。 習っている生徒さんに着物を着せて、茶道をしてもらいたいと思い、着物を集めています。 その夜なことも含めてもう少し充実させていきたいと思っています。

それから、昨年、女性自立支援の組織を応援する機会が出来ました。 これにも、自分なりの思いがあります。 その子たちに着物を着せたいというのもあります。日本文化の奥深さというよりも、現代風に楽しんでもらいたい、というのもあります。 

もう少し時間を頂きたいという、かなりな欲が出てきてしまいました。

皆様! 病気に負けない体で思い切りチャレンジしてください。 応援もよろしくお願いいたします。

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富津移住生活⑦を兼ねた 年末のご挨拶 https://okada-kensetsu.jp/memorandum/231230?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=231230 Sat, 30 Dec 2023 04:01:12 +0000 https://okada-kensetsu.jp/?p=3961 令和5年も無事終わります。一年間自分勝手なことを書き、それを読んでいただきました。ありがとうございました。  心から御礼を申し上げます。 そして、この12月に岡田建設株式会社代表取締役社長は岡田直也に ...

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令和5年も無事終わります。一年間自分勝手なことを書き、それを読んでいただきました。ありがとうございました。  心から御礼を申し上げます。

そして、この12月に岡田建設株式会社代表取締役社長は岡田直也になりました。 三十有余年間社長をしてまいりまして、どうにか次につなげることができます。こうやって長い間岡田建設を経営し続けられましたことは皆様方の後押しとご理解、神様仏様のお見守りがあったが故です。本当にありがとうございました。どうか今後、新社長にも同様のご鞭撻を頂き、岡田建設に相変わらずのご愛顧をお願い申し上げます。

一年を私事で振り返らせていただきます。令和5年の出だしはしごく順調に過ごさせていただきました。春先には富津荘で庭を耕し家庭菜園とすることができました。その後静岡で農業をしている友人が来てくれて、野菜の種をまき、苗を植え付けてくれました。自分たち夫婦も畑作業をすることができました。5月にはトヨタ86という車を借りて、山形県寒河江まで運転して甥の結婚式に参列してきました。 

しかしそのあとがあまりよくありませんでした。1人の職人が異常な猛暑で熱中症にかかり2か月以上仕事が出来なくなり、皆に「水分補給を忘れないように」と言っていた本人が9月初めに熱中症にかかりました。短い秋になりまして、10月帯状疱疹、その後11月のインフルエンザと病気が連続してしまいました。そのような一連の病気の流れの中、今年の仕上げが尿道閉塞で尿が出なくなってしまい尿道にカテーテルを入れる羽目になって令和5年はその状態で年を越すという事になってしまいました。

それもこれも息がってワンを打たずに過ごしてきたり、すべて自分自身の健康に対するおごりのなせる結果クチです。 年齢とともに体力が落ちるのを認めずに無謀を続けていた思い上がりに、天にご注意していただいたものです。

ですから、その間はどこにも出歩くことが出来ずに過ごしました。そのようなわけで秋の富津移住生活の文章は書けませんでした。 まあ、ここまでどん底でいろいろとやってしまうと、後は上り坂でしょう。当然、来年はもっと体力は落ちるでしょうから、上り坂は息が切れるかもしれませんが、ゆっくりとその上り坂を楽しみたいと思います。

NHKBSで火野正平さんが自転車で日本全国を旅する番組があります。その中で、よく「人生下り坂が一番」とか言っています。そして自転車は乗っていて追い風はすごく助かります。 だけど、追い風や下り坂ばかりではないし、必ず向かい風や上り坂もあるわけです。確かに上り坂を懸命に登り切ったその後の下り坂は天国ですけど、上り坂を経験した故の天国ですよね。

このように自分は今年の夏から秋にかけて健康のどん底を味わいました。ここまでやれば来年は上り坂しかないでしょう。これは想像すると楽しいです。まあ、自身の健康が戻りつつあるからこういっていられるのですけれども。 

この経験を生かすとなると、「自分に対して過大な期待をせずに、自分の年齢相応に過ごしましょう。」という事になるかと思います。 こういうふうに過ごせるかどうか?  自分自身には、ここの所に大きな問題があります。 少し調子が良くなると年齢相応を忘れるというのが今まででしたから。 

59歳で小脳梗塞、62歳で網膜剥離、どちらも医者から、加齢だの老化だの言われました。その後、横断歩道を少し外れて道路を渡っていて車にぶつけられ、 65歳で心房細動の不整脈、 66歳には狭心症で2~3回救急車で運ばれ、67歳には脊椎管狭窄でした。 その猛烈な痛さが無くなったのが、ほぼ70歳。そしたら、「これだけ病気をしたら、あともうないだろう。これらを乗り越えたのだから。もう大丈夫」という何の根拠もない思い上がりが芽生えまして、「消えた60代を取り戻そう!」などと考えてしまうわけです。 これが自分の性格です。70代になってから60代を取り戻そう、と考えてしまう。本当にバカですよね。

そのような際中に、病気療養という事で女房の富津移住が決まり、板橋と富津との行き来が始まり、富津荘の整備、家庭菜園の造成、植木の伐採、富津でのご近所付き合い、などをこなしました。  そんなこんなの、年齢による体力の衰えを考えない動きをしたための疲労の積み重ねで身体の免疫が下がり、熱中症から続く病気になったのだと思っています。 

そのことを、深く反省をしなければならないと、今は思っています。 この思いを続けなければならないのも分かっています。そうしなければならないことも分かっています。 こんなバカを生かしてくれているのですから、まだやらなければならないことがあるのでしょう。来年それが見つけられれば、当然やらせていただきたいと思っています。

歳の終わりにだらだらと書いてしまいました。申し訳ありませんでした。令和5年も大変にお世話になりました。心から感謝を申し上げます。皆様におかれましては令和6年がすばらしい年であることをお祈りいたします。 勝手ながら、来年も相変わらずにご支援を賜りまして、どうかよろしくお付き合いのほどをお願い申しあげます。

本当にありがとうございました。

 岡田光雄

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ジャニーズをスマイルアップに変える 記者会見について思う事 https://okada-kensetsu.jp/memorandum/231223?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=231223 Sat, 23 Dec 2023 15:25:33 +0000 https://okada-kensetsu.jp/?p=3955 10月2日の記者会見で、ジャニーズ事務所の社長が、社名を変えて、被害者救済のみの業務を行う会社にするそうです。 その後、その業務が終わったらば廃業するとも言っていました。賠償に関する業務を行うだけの会 ...

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10月2日の記者会見で、ジャニーズ事務所の社長が、社名を変えて、被害者救済のみの業務を行う会社にするそうです。 その後、その業務が終わったらば廃業するとも言っていました。賠償に関する業務を行うだけの会社ならば、名称を「ジャニー喜多川による性被害救済会社」とでもすればよいのに。 そしてこの会社の社長は、当然、藤島ジュリー前社長でしょうね。100%の株式を持っている一番の当事者なのだから当然ではないでしょうか。 「親族として後始末を付ける」そうだから他人を巻き込まないでやった方が良いよね。(もしかしたらですが、同族会社だと相続税納付の優遇措置を受けていれば、取締役を辞めたら本来の相続税を払わなくならなくてはいけなくなるとか?)ゲスの勘繰りですが、それを回避して賠償の原資を確保しなければハワイの超高級マンションも手放さないとならなくなりはしないか、と心配するためです。

そして、この人は、オジ様の鬼畜のような行いを知っていながら、親族というだけで、その権力を振りかざして重大犯罪を握りつぶしてきての莫大な利益の恩恵を受けてきたのだから、何も威張って「自分が責任をもって」なぞと言えることではないように思ってしまいます。賠償が終わったらば、廃業するそうですが、そうではないでしょう! その後資産が残ったのであれば、それは懺悔の意味からも、世界中の子供たちの権利を守る活動をするべきだと思いました。その時の法人名は、「ジュリー世界の子供救済基金」とでもすればよいと思います。 そうすればジュリー氏ご本人の懺悔の気持ちを疑う人は少なくなるのではないでしょうか。

それよりも、ディアの記者の方々の品格の無さ加減は目も当てられない酷さだったのではないでしょうか。 メディアが権力におもねって、長い間ジャニー喜多川氏の犯罪に目をつぶって見逃してきたのに、どの面下げて、正義漢ぶって勝手なおしゃべりをしているのでしょう。本当にみっともないと思ってしまいます。 

メディアの記者の方々、品が無いです。この方々は、吠えられたり嚙みつかれるのが怖いから、落ちないうちは何もできないくせに、一旦、川に落ちた犬は長い棒で突っついたり殴る連中だから、こうなのですよね。 一般的に社会人として持たねばならない最低限の品位や知性とか、恥ずかしいと思う心のかけらもない。ように思います。

最近、安芸高田市長と安芸高田市議会議員とのユーチューブを見ていて思うのは、議員の方々や新聞記者の中には、ぬるま湯につかっていて、芯からだらけてしまって、その状態が恋しくて必然の改革に拒否反応を起こしているというのを感じています。

インタビューイメージ

それと同じ気配をこの記者会見のメディア側の対応に感じてしまいました。 今まであなたたちは何をしてきたのですか? 最高裁で確定した犯罪にも、きちんと糾弾することも無く、今回の発端のイギリスのメディアの指摘や、ジャニー性被害者の記者会見、国際機関からの報告にも、鈍い反応しかできなかった、と思いますが、どういう理由で急に元気になってしまったのでしょうか? 記者の方々が質問するときには、「自分たちも黙っていて恥ずかしいことをしていましたが・・・」と最初に行ってから質問すれば、と思ってしまいました。 そこの総括が出来ていなくて、相手が弱くなったら笠に着て殴り掛かるみたいに見えています。 それを卑怯と言わずして何というのでしょうか?

恥を知れ!恥を!

安芸高田市長が叫んでいた言葉です。

この記者会見に出てきた、大手一般新聞の記者、地方新聞の記者、スポーツ新聞の記者、テレビ報道部記者、週刊誌の記者、芸能リポーターを含めて、メディアの人たちはこの言葉にどう思うのでしょうね。 ぜひ聞かせてほしいと思います。 あっ! 芸能リポーターに言ってはかわいそうか。雇用主の意向には絶対に逆らえない立場ですから。 路頭に迷ってしまいますからね。 それからある週刊誌の記者は除外です。 今回のきっかけの記事を書きました。

そもそも恥を知っていたらば、新聞記者、報道部記者なんぞはやっていないかな? そうであれば、正義漢ぶるんじゃないですよね。 政治部関係の記者さんたちはもっとも反省しなければならないと思います。 権力に対して毅然としていなければ報道機関として、中国やロシアの報道機関と変わりませんから。

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ものすごく乱暴な計画  核ゴミ処分場選定の事 https://okada-kensetsu.jp/memorandum/231216?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=231216 Sat, 16 Dec 2023 16:23:42 +0000 https://okada-kensetsu.jp/?p=3949 9月27日の対馬市市議会で、対馬市長は「高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場を建設するための国の調査に応募しないを表明した、というニュースが28日朝刊の東京新聞第一面と三面に掲載されています。 ...

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9月27日の対馬市市議会で、対馬市長は「高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場を建設するための国の調査に応募しないを表明した、というニュースが28日朝刊の東京新聞第一面と三面に掲載されています。 核のごみ処分場選定に関しては、3段階の調査をすることになっていて、その都度、知事と市長村長の同意が必要とのことです。 そして、第一段階の文献調査に入れば20億円、概要調査に入れば70億円の交付金が国から出されるという事です。 核ごみの処分場を受け入れようという自治体は、北海道の留寿都村など、いわゆる過疎化が進み、将来の税収不足が確実視されて、自治体存続そのものにかかわるので、なんとかお金が欲しいというところのように思ってしまいます。

自分自身は、原子力発電所について一応条件付き賛成です。

今の原子力発電所は、住宅に例えていえば、最新設備の整った、溜まった汚物を処分する場所がない汲取り便所(いわゆるぽっちゃん便所)付きの家だと思っています。家庭ごみもどこかに置いておく。ようするに汲み取り槽内の汚物や家庭ごみがいっぱいになったらば住めなくなる家という事です。そして、水洗便所にはできない家です。 洗浄機付き便器も取付できません。 こんなような建物を、迷惑をかけても文句言う人のいないところに造って、住まわせているのが国です。そこのところをきちんとしてね!だから条件付きです。

昔は建築業界・住宅産業は、クレーム産業と言われた時代がありました。自分はそのような時代を生きていました。雨漏りなどは最たるものでした。今はクレームを出されることもほんとに少なくなりました。ハード面はほとんどゼロに近いです。 一言でいえば建築技術が進んだものと思っています。
原子力発電所の建物は、40数年前に建てられたものです。その当時の建築技術はそれなりだとは思います。不足しているところは、現在の技術に基づいての補強もしていることでしょう。大丈夫だと言っているから大丈夫なのでしょう。 

こんなようにものすごく消極的な賛成です。

福島の原発の放射性物質を含んだ水の処理に関して、海水で薄めて海に流す処理が始まりました。 これに中国や韓国などの近隣の国が反対しています。水産物の輸入を禁止しました。面白いことに日本海で不法操業した漁船は来なくなると思ったら、まだ操業しているようです。輸入ではないから良いのだそうです。 サンマについて、中国がはるか沖合からごっそり持って行かなくなるから、手に入りやすくなるのかを期待していますが、どんなものでしょう? 普通に考えれば、日本海よりも太平洋の方が、処理水が放出された場所に近いから、そこまでは出てこないと思っています。安くておいしいサンマを炭火で塩焼きしたいです。

また横道にそれた話が長くなってしまいました申し訳ございません。

留寿都とか、対馬のことは、住宅の排せつ物の処分場に当たるのだと考えますが、対馬では市長さんが反対の立場を表明したものです。 風評で、きれいな海からとれる水産物は売れなくなることが、そして観光客も来なくなることが容易に想像できる。 子孫に対して申し明けないとも思ったのでしょうね。 賛成の請願を出した団体の中に、建設業団体があったそうです。街の活性化を考えたらばそうした方が良いということです。 

建築業というのは、環境保護という事から一番遠くにある業種ではないかと思っています。 昔、ラワン材が住宅の内部造作材に使われてその輸出個のラワンを切りつくしてしまいました。日本の大径のヒノキ材が手に入りにくくなったらば、台湾のヒノキを手当たり次第に輸入していました。今は止められています。屋久杉も流通していました。だいぶ切出されたと思います。今は止められています。 秩父に武甲山という山があります。石灰岩でできた山です。セメントの材料です。 ある時までは山の形はそのままでした。反対側から見ると削り採られていましたが、今はどこから見ても少しずつ山の形が変わっていくそうです。 富津のマザー牧場に鬼泪山(キナダヤマ)という山があります。佐貫側から見るとその山に綱らなる山は今はありません。平らになって太陽光の発電所になっています。この辺りの山は、山砂で出来ています。昔、国道の上をベルトコンベアーが通っていて、海岸まで行っていました。そこで運搬船に積み込んでいたのです。 山砂は土木・建築で埋め戻しに使われます。 水を掛けながら埋め戻すと山砂は良く締まってくれます。(いまは産業廃棄物を加工して収縮しない埋め戻し材があります。金額はわかりません。)地面が陥没をしたり、それに伴って配管材などが下がって支障をきたすことが少ないのです。

産業廃棄物イメージ

まあ、建築関連の業者はすべからく、自然破壊を伴って仕事が成り立っています。どんな産業においても前段階で少なくない自然破壊をしながら成り立っているものを思いましが、建築は際立っていると思います。

話が飛びますが、3.11三陸の大津波の復旧において防災と称して、住民は70歳以上の数家族しか済まない岬にまで、何億円かかけて海が見えないくらいの高さでコンクリート堤防を造ったり、陸前高田などは12m土盛りしてしまいました。その土は山を崩したり、トンネルを掘った後の残土の処分をしたりしました。住民の為というのはどうなんでしょう?あの時にびっくりしたのは、岩手県中の大型重機がここに集まったと思えるくらいの機械を見ることができました。 200mくらい置きに5~60台規模の重機駐車場があり、日曜日にはそこが満杯でした。その時のとても壮観な光景でしねた。 この為(建設業者の為)の工事なように思いました。いろいろな地方から集まってきたわけでしょうね。「用意ドン!」で工事が始まったのです。

現在、県内の建築関連業者は仕事が無くなってとっても困っているようです。こんな限られた地方で一斉に工事をしたのですから、築12年では新築はおろか、リフォームや補修工事さえなくなるのは自明でした。

本当に、その時だけでした。しかし被災地は致し方ありません。やってくれたことはありがたいことです。12年も経ってしまっては、きれいに平らになってしまった場所に戻ってくる人たちがいなくてもしょうがないことです。これは、この工事そのもので儲けられる、それだけが大事な人たちがそれを進めていた、すごく上の人たちの自分たちのための思惑がそうだったのですから。その時に儲ければ、次の場所でまたもできるのですから、後のことは考えることは無いのです。もとえ!でしょう。すいません、伝聞です。勘繰りです。自分の考えです。ごめんなさい!

対馬の業者団体の方々は、それで地域も潤うのだから、核ゴミ処理場を造りましょう。という事ですよね。その工事は一時的でしょう。 観光客がいなくなれば観光施設が立ち行かなくなり、それに関連するは無くなります。魚が売れなくなれば漁業者は生活できなくなり、生活出来なければ出ていくことでしょう。このような民間の仕事はその時だけではありません。観光業が続けば仕事が続きます。漁師が良ければ家を建て替える事にもなるでしょう。 家庭廃棄物の処理場であれば、数十年後に建て替えもありましょうし、その間にメンテナンス工事も請けることは出来るでしょう。

核のごみ処理施設を造るには特殊技術が必要です。島の民間業者にはできません。メンテナンスの仕事もできないでしょう。おそらく、ゼネコンが作った子会社の仕事のおこぼれをもらいに入るだけでしょう。継続的ではないのです。 土木・建築屋の一発屋だけがその時にうまいことをやるだけではないでしょうかね~。

市長の判断は正しいと思います。

ごみを考えるイメージ

ここから、この文章の題の “ものすごく乱暴な計画” になります。ここまで来るのにA-4用紙2.5枚になってしまいました。前置きが長すぎるのが欠点です。 

さてこれからは後はものすごく乱暴で日本寄りの横暴ともいえる計画について話します。
※あまりに大胆ではありますが、費用対効果はもしかしたらあるのではというくらいの気持ちで聞いてください。

核のゴミはガラス固化するという事です。本来ならば、それらを地下数百メートルに埋めておくという事のようです。 日本には、1か所だけそのまま地表に置きっぱなしにできる場所があります。日本人からは文句は出にくい場所で、しかも国有地です。地権者はそこを利用しようとする国だけです。 どこでしょうか? 

日本国の領土である、尖閣諸島の、魚釣島です。 ここに置きます。 ここならば、日本国民からのクレームは微々たるものではないでしょうか? きっと与那国島の住民からは出るでしょうね。 ここに置けば、他国の侵略を受けることは無くなるでしょう。他国のこの島への上陸作戦は放射線防護服を着てやらなければなりませんし、戦闘服+防護服の作業。そして放射線への恐怖。事実上実効支配は難しいのではないかと考えました。ものすごく乱暴で、どうしよも無い計画です。
でもある意味、一石二鳥の迷案です。日本政府の40年前からの懸案である国内に核ごみ処理・貯蔵施設を造ることができ、それが日本国の防衛にも役立つ。その防衛に関しての費用は極限まで抑えることが出来る。核のゴミそのものが防衛手段になるわけですから。 ものすごく乱暴で、どうしよも無い計画です。

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令和5年 11月 霜月 お茶のお稽古 https://okada-kensetsu.jp/company/teaschool/2023_ts_nov?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=2023_ts_nov Sat, 09 Dec 2023 16:55:11 +0000 https://okada-kensetsu.jp/?p=3937 ほんの少し前まで「暑い、暑い」と言っていたのですが、11月となりましたらちょっとの間の短い秋になりました。 炉開きの月、茶人のお正月と言われている月です。床の間に飾り壺を飾りました。 今月だけのお出ま ...

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ほんの少し前まで「暑い、暑い」と言っていたのですが、11月となりましたらちょっとの間の短い秋になりました。 炉開きの月、茶人のお正月と言われている月です。床の間に飾り壺を飾りました。 今月だけのお出ましです。 お茶には一年に一度とか、12年に一度とかというのが多いです。

涵養庵の露地入り口にある鉢のもみじの葉はカサカサになって縮んでいます。今年はツワブキの花が咲きません。庭の梅の木の葉はまだ緑色が多いです。花海堂の葉もまだ緑が強いです。今年も苔が良くならなかったです。苔を育てるのに試行錯誤してやってみています。

子供たちは25日午前中でした。今回小学校一年生の孫が初めてお稽古に参加しました。入室から、客の作法、そして中学生はお点前のお稽古もしました。

30日は炉開きの行事として飾り壺のお点前をしました。そして、客としての所作を、通しでお稽古しました。 亥の子餅もおいしかった。

掛け 竹一文字切 / 孔雀草
掛け 竹一文字切 / 孔雀草
 「不織」の軸
水指瀬戸焼 一重口
茶碗萩焼     水津乙彦
楽茶碗    大野九行 “母”
京焼     瓢の絵
美濃焼
百福茶碗
薄茶器棗  堆朱
茶銘関の白  一保堂茶鋪
阿弥陀釜
水差し瀬戸焼 一重口
建水曲げ物木地
炉縁欅   大工の製作
花入れ掛け 竹一文字切              26日
孔雀草 照り葉(レンギョウ)   25日
椿 照り葉(ドウダンツツジ)   30日
喰籠溜り塗 駒繋ぎ
主菓子亥の子餅  目白しむら  25日
“      厳邑堂    30日
11月のお道具

涵養庵でのお稽古は天井の低さ、空間の狭さが落ち着きます。普通、天井が低いと何か詰まった感じがするものですが、そういう感じがしません。不思議です。

11月子供茶道教室イメージ
子供茶道教室イメージ
飾り壺のお点前イメージ

今更ですけれども、子供たちが茶道に親しんでもらえるように、好きになってもらえるようにもう少し頑張ろうかと思います。こんなふうに思うのも、帯状疱疹の後が思わしくなく、体調がすぐれない日が多く、準備がきつかったからなのです。 珠乃先生はじめ、お教室の皆様が協力してくださってやらせてもらっています。

来月、子供たちの時間の都合がつけば、子供たちに着物を着せてのお稽古を考えています。着物はこちらで用意してあります。 これも日本文化の継承という事につなげていけたらと思ってのことです。  来月はもう師走。お稽古日を12月21日(木)、23日(土)を予定しました。

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新しいリフォーム工事が始まりました https://okada-kensetsu.jp/memorandum/231203?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=231203 Sat, 02 Dec 2023 16:56:30 +0000 https://okada-kensetsu.jp/?p=3930 ご近所のリフォーム工事が終わり、次の現場が始まりました。 終わった現場は35年くらい前に岡田建設が施工した鉄骨造3階建ての物件のリフォームでした。今回は25年くらい前に建てられた、地下駐車場付きの木造 ...

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ご近所のリフォーム工事が終わり、次の現場が始まりました。 終わった現場は35年くらい前に岡田建設が施工した鉄骨造3階建ての物件のリフォームでした。今回は25年くらい前に建てられた、地下駐車場付きの木造2階建て建売住宅です。 お施主様(Kさん)は都内で介護の仕事をされていた方でした。 歳を重ねられてお仕事もやめ、姉妹お二人で話し合った結果、自然に囲まれた空気のキレイな、新鮮な食べ物を食べられる地方で一緒に暮らそうということになりまして、伊豆半島のI市のマンションに移住されたのでした。

そこは、朝日も入り、キラキラした海を見下ろせるロケーションで、鳥の声で目が覚め、新鮮な魚もすぐに手に入り、と申し分ないところだったようです。しかし、住んでみてから、いろいろと不自由が出てきてしまい、それに耐えられなくなってしまって、都内に戻ろうという事にしたとの事でした。 都内に戻るという決心をされてから、インターネットで物件を見つけて気にいり、その建物のリフォーム工事のご依頼をいただいたものです。

都内に戻ろうと思われた一番の理由は、電動自転車で買い物などに行って帰ってくるときにものすごく困ったからだったそうです。ちょっと重い荷物を買って戻ってくるときに、住んでいるマンションの直前の坂道が、「電動アシストなのに自転車に乗ったまま登れなくなるほどきつい、」というお話でした。 それから、医療関係については都内と比べることは出来ません。もっと歳をとった時どうなるのだろう?となったようです。 

女房殿が富津に移住して感じていますが、やはり、一番大きな問題は病気やけがで治療をしてもらうときに、医療機関を選択することが難しいのです。 房総半島の北側部分、特に東京都と連なっていて千葉市くらいまでは人口も多く全く都会です。千葉大学附属病院はじめ医療施設、文化施設、交通施設は都内並みにそろっています。

しかし富津市のある房総半島の南側部分、上総、安房、九十九里と呼ばれている地方だと、大きく優秀な医療施設は鴨川の亀田病院とかくらいではなかろうかと思います。富津に近いところでは袖ケ浦さつき台病院、君津中央病院と大きな病院はあります。公共交通機関については、JRはほぼ一時間に1本ないし2本、バスはとても不便で高い。車を運転できなければとても不便です。 細かくなりますが、大事な服のクリーニングとか、切った髪が伸びてもそれなりに髪が整っている美容院はまだ探しきれていません。 しかし、そのほかにはあまり不満はなく気に入っているように思います。鳥の声で目が覚めて、海からの風も涼しく(台風の時は家が揺れますけど、)野菜も。魚も新鮮。人も優しい。

シロアリイメージ

お施主様が都内で手に入れた住宅の話に戻します。ここを買われた時は大手業者が仲介しています。 お施主様が岡田建設の事務所にお見えになった時に、その物件パンフレットを持ってきました。 それには物件の情報が色々とジョウズに書いてありました。 お施主様は当然、現地にも行って、現認されたそうでした。 自分には1か所、気になった個所がありましたが、お越しいただいた時点で、ご購入を決めていたようでした。 その1点というのは、パンフレットの中に白アリ防除業者の添付された浴室部分の腐った土台や柱の写真と報告書があり、その内容についてちょっと疑念がありました。一言でいえば、「ホントかよ」と「しょうがないか」です。 写真を見て、「白蟻の食害ではないな。他もやられていつ可能性が高いな。それを書かないのだな」と感じました。「壊さないとわからないのだから、この写真部分のみの補強工事を見積もるしかないな」という事です。

ここで、自分の反省点があります。 それは、この物件を「買わない」という選択肢を持っているかどうかを、お施主様に聞かなかったことです。 手付を入れてしまっているみたいな話ぶりでしたし、売買の契約日も決めているとお話をされていました。 ここで、こちらから「ちょっと待って」と言えなかったのです。 

建物の一部を壊させてもらって腐朽部分を確認させてもらえばよかった、という反省です。 しかし、壊して壁の内部などを見せてもらうのは難しいことです。 壊したところ、何でもないこともあるでしょうし、写真よりももっと広くひどい状態で壊した部分の復旧も出来なくなる可能性があるからです。 推測で話を進めませんから、やってからの話になってしまうのは「しょうがない」となってしまいます。

そもそも、自分は20年前以前の建売住宅に関して、仕事のレベルには全く期待していません。いつも、「このようなことまでして、安く上げようとするのか!」という事ばかりを見てきたからです。 「最近の物件は、そこそこ出来ているのかな?」と思うときもありますが、やはり、建売住宅は、建築基準法に則っています。この意味は、建築基準法が建築物に関する最低の基準だと謡った法律にのっとっているという逆説的な意味です。
現場に行き、内部を見させてもらい、不動産業者のパンフレットと照らし合わせて、次の打合せまでに概略の工事金額を自分なりに出しておくことにしました。

図面イメージ

数日して、会社にお見えになり、契約が済んだ旨と工事の予定金額を話されて、この「金額でやって下さい」と言われま
して、先に考えていた概略の工事金額よりも工事の範囲を狭くしたり、機器のグレードを調整したりしてその金額に合わせ、提出しました。 その工事内容の主なものは、基本的に外部はいじらないで、

  1. 内部クロスは全部張替  
  2. 浴室はユニットバスにする 
  3. システムキッチンは取替える 
  4. LDKの床は張り替える 
  5. 2階の和室は畳を撤去しフローリングとする 
  6. ロフトに上がる階段を作成する 

というものです。建具などは現況通りです。

ご承諾を得て、岡田建設との工事請負契約を結んでいただき、 速やかに着工をするというお約束をしました。 工事予定表も出しました。近隣挨拶は、お施主様が東京まで出るのが大変だから、岡田建設だけでやってほしいという事で、こちらで済ませました。

工事着手です。最初は改修部分の撤去からです。 既存ビニールクロスのはがし、厨房セットなどの搬出、畳の搬出。 それから、浴室の内部撤去です。 
ここで案の定、問題発生です。写真で見た腐朽範囲だけではなく広がっていて、壁の中の構造材はもう木材ではなく粉みたいになっていました。 土台として使っていた材木の材種も適切なものではなく、どちらかというと腐れやすい杉でした。 杉の名誉のためにいいますが、適切な場所に使用すれば杉はすごく耐久性、強度もあり良い材料です。 しかし風呂場回りはだめです。湿気が抜ける使い方をすればまだ良いのですがここのような場合はだめです。
在来のタイル張り仕上げの浴室にするのであれば、基礎を1mほど立ち上げるのが普通ですが、構造材を浴槽部分と床から離すような工法を取ります。 20数年前であればやっていたことです。 ここが建売住宅です。
ここでいったん工事を止め、写真を撮り、お施主様に状況報告しました。 不動産業者に「隠れていた瑕疵があった」として、補修の金額を請求する旨を伝えてもらいました。相手はいくら大手の名前であっても、悪い意味の不動産屋でした。 悪徳だろうということを言いました。財閥系の名前のついた不動産会社ですよ! 業界ではあそことは関係するなと有名な会社ですがね。

担当者は、「契約した後からわかってもこちらに責任は無いと、重要事項説明書に記載されている。重要事項の説明は一条ごとに読み上げて買主にお伝えしたうえで印鑑をもらっている。買い主はそれだから請求できない」というのです。 完全になめています。 そのようなことは書いてありません。そのように読めなくはない部分はあります。 写真の部分の補修不を請求はできませんが、隠れている部分に免責はありませんしあり得ません。
これが通るのであれば、全体的にやられているとわかっている時に、一部の見える部分だけ写真を撮り、「この部分はだめです。ここの補修金額を値引きます」と言い、契約書にその旨を記載し、他の個所を含めて損害賠償に応じなくてもよくすることが可能です。 これは詐欺です。

お施主様に、「このまま工事を止めておいて、売主にその場所、現状を見てもらい(法律上見せて確認させなければなりません)、補修金額を請求したらどうでしょうか? 弁護士を立ててそうしますか?」とお聞きしました。 そうしましたら、「そうはしたくないです。」とのお返事でした。 それで、こちらは補修工事のやり方を工夫し、最低限、これをしていけば何とか大丈夫という補修、補強を考えて、施工することになりました。 これは追加工事になります。 今はそこまでの工事をしています。 思う事は、買う前に建物を点検させてもらって、評価させてもらいたかったなということです。 壁の中の状態は壊さなければわかりませんが、ある程度の予想は出来ますし、心配な箇所を指摘して、実際に問題であった時の金銭的な解決方法を担保しておくことは可能と思います。 素人さんの目では、本当に表面的な見た目しかわからないと思います。これは岡田建設としてお手伝いできることだと思います。 

次回に続く

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