鶯イメージ

富津移住生活-⑧

今回のコラムは2024年の3月に書かれたものです。色々更新のタイミングを失してしまい、このあとに続く重要な内容も含まれておりますので今回遅れての内容となります。何卒ご容赦下さい。

このへんでは、2月末頃から鶯の鳴き声が聞こえ始めました。3月になりましたがまだ「ホーホケキョ」ではありません。暖かくなるにつれて声に力が出てくるのが分かります。だけれども「ホーホケキョ」ではありません。 鶯は本当に姿を見ることが難しいです。ピザ釜のそばの木にいることはわかるのですが、飛び去るところも見せてくれません。
東新町ではほんとに見かけなくなった雀が十数羽飛んできて、ピーチクやっています。こちらではまだ健在なのです。 たぶんムクドリだと思いますが、ちょっと大きめの鳥が地面を掘っているのを見かけました。飛び去ってからその場所を見に行きましたらば、深さが2センチ程度ありました。虫でも探していたのでしょうか。 それから、カラスが30センチくらいの小枝をくちばしにくわえて飛んでいきました。たぶん巣作りの最中なのでしょう。

野生のいのししイメージ
野生の猿イメージ

回覧板で、君津の山でイノシシが出たという事で、罠を仕掛けたので注意してくださいと回ってきました。房総半島は、関東の山とつながっていないから、熊とかイノシシはいないと聞いていましたが、こちらまで出るようになったようです。 この辺から少し南方の山にはニホンザルがいます。ゴルフ場に出没しています。かなり昔の話になりますが、富津市の山の中のゴルフ場でプレイした時に林の中にいる猿集団を見かけた事があります。

庭の家庭菜園の広さを去年の倍くらいに広げました。女房殿が今年はもう少し野菜を作りたいと言っているので、広げました。 以前は耕運機に燃料を2回くらい入れれば終わっていたのですが、今回は燃料もやはり倍でした。機械の力は大きいです。こんなことを鍬でやっていたら、去年の半分でも倒れてしまいます。
なぜこんなに鳥の観察が出来たり、畑を耕運機で耕したりできるのでしょうか? その答えは、また、去年の暮れに罹ってしまった尿道閉塞が2月になって再発したためです。
大船渡でお世話になった親戚に不幸が出まして、急遽行くことにして、一旦板橋に戻ることにしました。その途中でまた尿意が頻発してしまい、トイレに寄りながら、やっとの思いで自宅に帰りつきました。尿が出にくくなり、夜、近所にある泌尿器科の病院に行き、またカテーテルが入ってしまいました。ここで、大船渡行きは中止せざるを得ませんでした。その時に手術の話が出て、「ここでやるか、君津でやるか考えてください」と言われました。

耕運機イメージ
家庭菜園イメージ

翌朝また富津に戻りました。そして泌尿器科のクリニックに行って、とりあえず検査をしましょうとなり、今度は間欠導尿という事になりました。
そんなこんなで自分にしては長期滞在になってしまったわけです。尿漏れパッドも必需品になってしまいました。
最初のうちはおとなしく庭に来る鳥などをみたり、庭の背の低い木の枝を切ったりしていましたが、生来のマグロ体質です。じっと動かないとだめなのです。動きたくて我慢が出来なくなってしまうのです。それで耕運機でした。
その間に、古民家しおさい工房に行って、来年のお正月には入居者に着物を着せて、氏神様に初詣をしてもらいたいとか、その時に、皆で軽く食事などもさせたいとかおお話をしたりして来ました。 後日、施設長さんに話を通してもらい、やれることになりそうです。 そしてゆくゆくはお茶もやってもらいたいと思っているのです。着物を着て。  その時はご近所さんにも協力のお願いに回ります。
板橋でもう少し働いてからこちらに来ても、やることはありそうです。富津での楽しみが増えました。

通院イメージ

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