富津移住生活の文中に度々出てくる、 {古民家“しおさい工房”} について書いてみます。
この古民家建物のできた当時の事は、よく知りません。60年くらい前、富津荘ができたあたりにはあったものと思います、多分。その時の屋根は屋根勾配からして茅葺きだったと思います、多分。 富津莊のできたのが自分が小学校の6年生から中学1年生の頃でした。そのころは、家族全員が父の運転する車に乗って、土曜日の夜富津に泊まり、日曜日の夜に東京に戻るというルーティーンでした。 そのような状態でしたから、当時、富津莊と歩いて5分程度の海岸までの往復だけで、近所を散歩するという事はありませんでした。海で遊ぶのと、庭の草刈りの手伝いばかりでした。ですから、この当時にその古民家があったかどうかは知りません。海までの道路沿い以外の近隣がどうなっていたかの記憶は全くありません。 この道路沿いに関する当時からの辺々を思い出して書いても一つの文章にはなります。
そのようにして、富津莊ができたての頃は家族で月に3回ほどは来ていたと思います。まだ高速道路などは無く、有料道路が、小松川あたりから船橋あたりまであったように記憶しています。それも全くの田んぼの中。途中道路が大きくカーブしたあたりに大きな柳の木が見えたのを覚えています。幽霊が出るだのと言われていました。
船橋からは国道14号線、海岸にそって走りました。幕張当たりでは地元のおばあちゃんたちが道路わきでおそらく手製の棚に貝などを並べて売っていました。現在は完全に街の中。海のかけらも見えません。小山の中腹に国道から見えていた神社も見えません。多分、漁師さんたちを見守るお社だったのでしょう。 千葉市内だったと思いますが、製鉄所のわきを通って行きました。国道16号線、市原あたりにはドライブインと言っていた食事を提供している建物が多くありました。そのあたりで夕食を取っていました。その後国道127号線を通って富津まで行っていました。所要時間は約3時間ちょいでした。(運転している時間)
高校2年生の7月、当時は16歳で軽自動車の運転免許が取れましたので、運転免許を取り、軽自動車で富津に通いました。夏休みに友人と一緒に来るようになったりしてから、近所の散歩とかランニングをし始めたのです。その時には、「こんなところに農家がある」という認識でした。古民家という言葉は無かったように思います。 でも「農家にしてはちょっと違うな」という気持ちもありました。 人の気配を感じたことがありませんでした。別荘だとすれば腑に落ちます。その後、この古民家は、庭も家も荒れていた時期がありました。 なぜだかは知りようはありません。多分、代が変わったのではないかと推測しました。 そのようなことはよく聞きました。 相続で引き継いでも、維持ができなくなりほったらかし、というようなことです。 今でも、近隣にすごく趣のある良い家なのに傷んでそのままという家が散在しています。
その後、その古民家の隣に、とある会社の社員用の保養所ができました。RC造の建物でした。自分たちも夏にしか行きませんでしたが、ここも夏になると、入れ替わり立ち代わり人が来て随分と賑わっていました。 他にも会社の保養所は何棟かありました。新日鉄の研修所なども建ちました。今残っているのは、この古民家の隣の、保養所だった建物くらいではないでしょか。今の用途は保養所ではなく、高齢者収容施設に変わっています。
そのような経過の中、昨年、女房殿が病気療養で富津荘に住民票を移し、富津市民となりました。居住するようになって、ゆっくりと散歩するようになったらば、同じ年代でこちらに移住してきた方々との交流ができ、“しおさい工房”を知る機会がありました。 ご近所の方たちの憩いの場所として使っているという事でした。 その後、直接“しおさい工房”をお伺いし、お話を聞かせて頂きました。
“しおさい工房”は、地域の人たちとの交流の場という位置づけです。「いろいろと不足しているものがあるのでご協力をお願いします、」と頼まれて始まったお付き合いです。
ここは隣の高齢者収容施設を運営している組織が、この古民家のオーナーさんから「必要最小限しか手を加えない。どのように使用しても良いが、何かを取り付けたりして家具を傷つけない」という条件で借りているとのことでした。
まず、富津莊にあって自分たちの生活に必要の無いものの中で、こちらで活用できそうなものを差し上げたいとお話し、了解を得たものを運ぶことにしました。 写真を見せて選んでもらうというのは面倒くさいので、来て見てもらう事から始まりました。 本とか、布団、座布団とか、収納ケースなどを見てもらいました。座布団は持って行ってくれました。それからカーペット。これは、あるお施主様から中国緞通の絨毯を頂いたので、自分たちがそちらを使う事にして、カーペットは使わなくなったものです。 「庭に敷いて、雑草除けにするしかないか、」と思っていたのですが、有効に使ってくれてものすごく有り難いです。自分たちで買ったものですので、ある思いはありました。
自分には、古いものを捨てないでどうにかして使ってやりたい、という悪癖があります。家の建て替え工事を始めるにあたり、使えそうな材料は無いかと探し、新しい建物にそれをどのように使うか?と考えるのが好きです。 解体するときには、使えそうな部分は解体職人ではなく、大工が取外し、とりあえず置いておいて、建物の進行に合わせて、「ここが良い!」と思うとそこにどうやって取り付けるかを考え、大工さんにやってもらいます。お客様には喜んでもらえます。こちらも楽しいです。ある意味、道楽でしょうか。
残置物も只捨てるのではなく、どこかで使ってもらおうという考えです。布団、テレビ、物置などを、板橋の更生保護施設に届けて使ってもらっていたこともありました。最近、布団を必要とする施設が無くなりました。布団ではなくマットレスになったようです。そして着物の処分を頼まれることがあります。
自分自身は、お茶室を造り、お茶の教室を開催するにあたり、いろいろなお道具をいろいろな方(お施主様、友人、知人、親戚)から頂戴しました。 おかげさまで子供たちが人間国宝作のお茶碗を使って、お茶のお稽古をしています。お軸も月毎の物を頂いてあり、毎月のお稽古でその時にふさわしいお軸を掛けられています。頂く事に対する抵抗感はありません。
7月のお軸は、子供の部は“瀧“を掛けます。これはわかりやすく水が落ちている様子を想像し涼しさを感じてもらえます。大人の部には“雲悠々水潺々”を掛けました。水指は木地の釣瓶をつかう事にしています。茶碗は平茶碗を用意しました。花入れの竹篭も。これらはすべていただき物です。自前は茶室だけです。提供してくれた方たちに、使わせてもらったことを報告しますと、「使ってくれてありがとう。」と言ってくれています。最近になってそのお気持ちが分かるようになってきました。
そのような事ですので、頂くときはありがたく頂戴します。差し上げるときはどうか使ってやってください、使ってくれればその物は喜んでくれる。ただそれだけです。 施設の方にはそのようにお話をして、こちらが使っていただきたいというものを遠慮することなくもらってほしい旨を言いました。喜んでもらって使っていただいています。 そういうような考えだけなのです。
先日も散歩の途中に“しおさいの家”に寄りましたらば、冷たい飲み物をごちそうになり、スタッフの方が出張で行った先のお土産までもらってしまいました。 遠慮しないで頂戴しました。 ちょっと図々しかったかな?などと少しは思い返したりしましたがちょっとだけですけど。その様なお付き合いが出来つつあります。
色々と話をしていて、振袖の着物を持っていく事にしていました。それが手に入りました。天祐でしょうか。以前に会社に届いていたのですが、小物類の不足などを確認してからお渡ししようと思っていましたので遅れています。この振袖はリフォームのお施主様から、着物(和服・洋服)を一式、処分を依頼されたものの中のものです。
今後も、出来るだけのことしかできませんが、やらせてもらおうと考えています。物だけではなく、子供たちの教養の一つとして、例えば茶道とか、和装着付けとかをやっても良いのではないかと考えています。これらは自分にはできません。女房殿の回復具合を見ながらになるのですが。
他にも地域の人たちと協力出来れば様々なことができると思います。おせっかいかもしれませんがやれる範囲でやっていきたいと思っています。
もう一つ、ちょっと余計な話。自分は板橋区で保護司をしています。これは無給の国家公務員の立ち位置です。まあ、仕事が仕事だから守秘義務を負わせるためにそうなっています。保護司は 犯罪を犯した子供たちや成人の更生を手助けする役目を担っています。 保護観察所から言われて担当した人たちに月に1回ないし2回あって状況を聞いて観察所に報告します。期間は半年とか1年とか2年とかいろいろです。 今回、“しおさい工房”とのお付き合いが出来、出来ることだけをいろいろとさせてもらっています。先だっては、富津荘のピザ釜で作ったピザをおすそ分けしました。そのあとで、お施主様から頂いて「食べきれないなあ、」と思ったお饅頭を持ってきて食べてもらったりしました。 そのあと、「おいしかった」という寄せ書きを頂いたり、「うれしかった」という連絡を頂いたりするのです。そして、“しおさい工房”に伺うと、たまたまそこにいた、それらを食べてくれた方たちがそれを直接言ってくれるのです。そういうのがすごくうれしいのです。 「比べるのはなにかな~」とは思うのですが、ボランティアというくくりの中で、喜んでもらえているという実感を経験できるというのは法宇藤にうれしいです。保護司では、喜んでもらえないという気持ちがありまして・・