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幼馴染の直葬のお弔いに行って感じた事

自分は5月生まれ、幼馴染の友人は8月生まれ。兄弟よりも付き合いは長いという事です。隣同士でした。彼は一人っ子で朝起きると同時にうちに来て、朝ごはん、昼ご飯、夕ご飯を一緒に食べ、お風呂も一緒でその後に寝に帰るという生活でした。もちろん幼稚園、小学校と一緒に通いました。小ガッコの4年生くらいの時にお母さんと、一緒に引っ越しました。その後は数回くらいしかあっていませんでした。 その友人が亡くなったという知らせを受けたのは4日前でした。 ガンだったそうです。事情があり、一人暮らしで、生活保護を受けていたそうです。アパートも持っていたのに、と思いました。ガンにかかり、その治療のためにアパートを売り払い、そのお金が無くなって生活保護を受けるようになったようでした。 直葬にするという事でした。

昨日、車で葬祭場に行きました。 直葬というのは初めてです。 さきに書いたようなことを思いながら、駐車場に入ると警備の男が、「誰ですか?」とさも迷惑そうな顔で聞いてきました。 「岡田と言います」というと手に持っていたメモを見て、「そのような人はいない」というのです。 「ああ、仏さんの名前か」 当たり前ですよね。来た人の名前などを聞くことはありませんよね。ちょっと気持ちが動転しているな。 あらためて仏の名前を告げた時に、ほんの少し侮蔑の色を感じてしまいました。 

車を駐車させ、会館の中には入り、まず受付に行きました。 仏様の名前を言って、「控室はどこでしょうか?」と尋ねましたところ、「控室はございませんのでロビーでお待ちください」という事でした。 その時に直葬するという事の意味と哀れを感じてしまいました。

東京の火葬場が民営というのを知ったのは何歳ぐらいだったでしょうか。中年くらいになっていたと思います。 板橋はほとんどが戸田の火葬場に行きます。 お弔いに行き、火葬場まで行く機会が増えて、ご遺体を焼く釜の部屋が違う事に疑問を感じていました。遺体を焼くのも金次第。 

だけれども、直葬だろうと特別室だろうと、皆仏様。阿弥陀様は平等にお迎えしてくださる。

ちなみの昨日行ったところは戸田ではありません。

ロビーには何組かの人たちがいました。すべてが直葬というわけではないようでした。自分に幼馴染の亡くなったことを知らせてくれた人を捜しましたが見当たりません。受付の人に聞いたところ、ロビーまで捜しに来てくれましたが、「席を外しているようですね。ご案内しますから、ここでお待ちください。」との話でした。 

火葬の時刻は3時でしたが、会館に着いたのは30分前でした。 3時10分前になっても、案内がありません。また受付に行ったのですが、「ご案内までおまちください。」だけでした。5分前になっても案内がありません。もう一度受付に行きました。 びっくりです。「受付の女性と違う男性が「もうお釜に入りました。」というのです。 え!ああ! すぐに怒りの気持ちがわきました。 「なぜなの!何回も聞いたのに、案内するしか言わなかったじゃないか!案内してくれなかったじゃないか!」その男は、もう一度「もうお釜に入りました。」 何か、がっかりしました。 ここで騒いでもどうにもなりません。 「わかった!」帰ってしまいました。直葬の扱いというのはこういうものか? 会館の駐車場をでてから、ご親族にあいさつしなかったことを悔やみましたが後の祭りでした。  彼は野方に住んでいたのですぐ近くでしたから、そこに行って手を合わせてきました。そうしたら、気持ちが落ち着きました。不思議です。もう何年もそこには行っていないのに間違わないで行けました。

「ああ、会いたくなかったかもなあ。見られたくなかったかもなあ、だからそう仕向けたんだろうな。」 

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