富津イメージ

富津に移住する計画の発動

長年の夢でもあった、「富津で夫婦二人、悠々自適に住まう」ことを実現しようと動き始めました。それも、急なのです。10月中頃からになりました。女房は現在二か月入院しています。三か月が経過すると退院します。その後に、転地療法の必要が出てしまったのです。 どこにしようかと家族で考えた結論が富津です。一番は医療の継続ができるというのが決め手でした。

今の時代はリモートワークというのができます。パソコンを持って行き、事務所のサーバーにアクセスすれば、そこに保存してある資料も見ることができます。事務所の部屋にこもってプランを練ったり見積もりをしたり、原稿を書いたりなどは富津で出来てしまいます。 自然環境が良いので富津の方が仕事は進むかもしれません。 そんなに思惑の通り、仕事がはかどるかどうかは自信がありませんがね。

しかしながら完全に富津にいるというのはまだできません。まずは週の内、金、土、日、月位を富津で過ごし火、水、木を板橋でと言うのを考えています。 まあ、悠々自適とは程遠いです。 通勤の体力が持たないと判断したら、板橋での生活を主にしてやっていこうと思っています。まだ事業承継が道半ばですし、建築屋を完全引退したくないのですよね。自分の出番がきたら、そっちを優先します。

富津での究極の目標の一つはお米以外の食の自給自足です。 畑を作って野菜を栽培し、鶏を飼ってたんぱく源とする。 梅、山桃、柿は毎年実を着けてくれます。今まではなっても収穫できませんでした。今後、柑橘系の木も植えるつもりです。以前、柚子があって実もついていましたが、数年前の房総地方を襲った大きな台風の潮風で枯れてしまいました。いれば塩分を洗い流すことができて助けられたと思います。そして季節毎の花を植えたいのです。お茶をする時に庭で咲かせた季節の花を挿して飾ります。 

自分の体力が衰えているのを考えないで、ホント、夢が先行していますよね。笑止千万。

目標の二つ目は、近隣の方々との新しいお付き合いをしたいのです。 富津荘を建ててから60年くらいになります。その頃は、全くの田園地帯でした。 耕作している田畑があちこちにあり、この辺は農業か漁業で、みんな若かったように思います。もっとも、自分たちは完全なよそ者でしたし、こちらからお付き合いしようという気も無かったと思います。お世話になった道路を隔てた農家さんは本当に懇意にしていただきました。今でも、です。

あれから60年! 植生も変わりました。昔は月見草の群生がそこかしこにありました。今がほとんどありません。何か洋花が増えています。 随分と家も増えました。 瀟洒な、大きな別荘も増えました。感覚的に別荘が増えたのは元横綱若乃花が、富津に来てからのように思います。歩いて5~6分のところにあります。 

そして、老人ご夫婦が家を建てて、田園生活を楽しんでいるかのようになりました。 先日、孫と散歩をしていたら、ユンボウを使って木の根っこを掘り上げているご老人がいらっしゃいました。孫はもう疲れて帰りたがりましたが、少しだけ話をしました。ユンボウはご自身が買ったもので、自分で少しずつ庭を開墾して整地しているという事でした。 

そんな地域の人たちと交流したいと思っています。その武器がピザ窯です。 それとこれから飼おうとしている犬です。散歩してイヌ友になろうと思っています。 まずは地域の清掃活動などに参加するつもりです。

それともう一つ。脊椎管狭窄症のあとクラブをすべて処分してしまいましたが、富津荘から15分もかからない場所にあるゴルフ場でもう一回だけ、ゴルフをしてみたいと思っています。

ずいぶんと富津生活をこうするよ、ああなるよと優雅に書いています。 現実は、女房がいない中での引越し荷物の整理が間に合いそうにありません。 しかし、全く新しいところに移るのではなく、今までも一年に何日間かの生活をしている家なので、一度に全部持ってこなくても大丈夫なのが楽なところです。

 

いままで、「富津はこんなに良いところです。」と書いてきました。いよいよ現実に移住という事になります。これから、現実に富津に住んでの感想を書き込んでいきます。 良いところ、悪いところを実際に体験します

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