古民家イメージ

古材利用について

2024年9月7日付東京新聞朝刊21面に、能登半島地震の被害で解体されなければならなくなった建物の一部(床板など)を回収し、家具その他に作り直して再利用してもらうという「のと古材レスキュープロジェクト」の活動の記事が載っていました。ご先祖様の思いのこもった建物が地震被害に遭い、不本意ながらも取り壊さなければならない。何か思い出を取りだしてそれを生かしたい。という持ち主の気持ちをかなえよう。という活動です。

2024年能登半島地震と津波の被害イメージ
2024年能登半島地震と津波の被害

自分にとっては、古民家と言われる建物の中にはよだれが出るものがいっぱいあります。木材や建具などはすぐにこういうところに使いたいなあ~というのが浮かんできます。古民家はかなりの程度分解が出来ます。自分が書いている富津移住生活という文章にも出てくる古民家“しおさい工房”も、富津莊が出来る前に移築されたものです。柱や梁、建具など「いいなあ~」という思いがわいてきます。 ここの場合、「自分だったらこうやるだろうな、これはしないな。」というのがありますけれども。

古民家イメージ
古民家イメージ

じつは、7月頃に、30年くらい前に建てた建物を、移築して、現在地とは別の場所で再び生かしたいという依頼を受けていました。 お話を頂いた時、申し訳ない事なのですが、移築は不可能と分かっていました。今の建物はとにかく地震で倒さないことが最優先課題で、金物・接着剤でがっちりと固めて、再建できるように解体することが出来なくなっています。が、とにかくどの程度の移築なのかお話を聞くことにしなければならないと考えました。

ところで、自分はいつごろからか家を建て替えるときに、解体する建物の一部を新築建物の一部に再利用してきました。先ほどの30年ほど前に建てたお宅でも、そこのおばあさまが触っていた跡のある虎斑の竹を階段の手すり部分に使いました。 涵養庵では、元に庭で立ち枯れたφ80程度の松の幹を落とし掛けに使用しました。また、書院障子の一枚をエアコンの吹き出し口に取り付けて、エアコンが直接見えないようにしました。ほかには、直径は100㎜にも満たないのですが、樹齢70年くらいになると思われる檜の木を抜いたのですが、その幹を輪切りにして、コースターにしました。 鍋敷きにしたこともあります。それから、大黒柱を看板と表札に加工したこともありました。つい最近では毎日開け閉めしてきた居間の建具をパーテーションとして使用しました。また、食器棚の巾詰めをして新しいおうちに合うサイズにして、以前と同じ雰囲気の中で住み続けて頂けるようにしました。この工事は老夫婦が介護もしやすいように改修した工事です。当然、台所、浴室、トイレなどの設備は最新式です。そういうところに以前使っていたものを取り付けて、生活する雰囲気に違和感の無いように考えたものです。

涵養庵 エアコン隠し・水屋側
涵養庵 エアコン隠し・水屋側
涵養庵 エアコン吹き出し側
涵養庵 エアコン吹き出し側
涵養庵 掛け障子「月」
涵養庵 掛け障子「月」
涵養庵  床柱、中柱を通して手前座
涵養庵 床柱、中柱を通して手前座

このようにするのは、お施主さんが抱いているであろう、これから壊される家に対する思い出を一部でも残して、新しい家に対しても同じくらいの愛着を持っていただけるようにしたいと思っているからです。また、庭木を伐採処分しなければならない時には、木が今までその家の人たちと一緒に生きてきたわけですから、その木を生かすような何かに利用できないかを考えます。それを建て主さんにわたして喜んでもらっています。

話を戻しますと、今の建物の移築計画はやめて、内部家具もそのまま残しておいておくことになり、まったく別個にほとんど同じ間取り、仕上げにして新築するという事になりました。ただし、少し小さくします。自分としては、現在の建物に対する思い入れがあることが大なりです。最善の決定をいただきました。

但し、このまま「良かった、良かった」で済まないことが、あります。30年前の建物と同じ仕様にするのは、今となっては、難しいところがあるのです。あの時携わった人たちみな高齢になりました。油の乗った40才台だった人たちが70歳台です。何を隠そう自分自身が74才です。 中にはまだ現役の人もいれば、次の世代がやっている人もいます。幸いというか有り難いことに辞めた職種の人の代わりになるもいます。しかしながら、材料がそろうかどうか?それが問題です。 

まあ難しい仕事の方が、やり遂げた時の達成感がものすごいのです。30年前のこの建物の工事がそうでした。後半3か月間は職人さんたちが毎晩11時ころまで仕事をして、傷もつけずに、工期に間に合わせたことが思い出されます。 近隣の方々も許してくれました。 今はどうでしょうか?もう、そのようなことは出来ない時代になりました。   職人さんたちの労働時間も守らねばなりません。逆に言うと、もっとじっくりと現場で仕事と向き合えるという事です。 年齢相応のことをして、これが最後になる!という気持ちでやる覚悟です。

-岡田の仕事, 工夫の仕事
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