今日、涵養庵での茶道のお稽古が始まって最初から来てくれていた子(S乃さん)が高校入学の報告に来てくれました。お稽古を始めたのは彼女が小学校の2年生だったと思います。 実は高校受験に為に1年くらいお稽古を休んでいました。 3月27日のお稽古前に「落ち着きましたか?またお稽古に来ませんか?」とお誘いしていたのです。27日はいけないけれど日を改めて伺いますという事で来てくれたわけです。
去年の1月に介護施設でのお茶会のお手伝いをしてもらって以来になります。この時には着物を着てもらって、お点前をしてくれました。
うれしくて、うれしくて、この時もうれしい話という文章を書きました。 お施主様から使ってくださいと預かった着物を着てお点前してくれた最初でした。着物を託していただいたお施主様も着物も喜んでくれたと思います。 着物も喜んでくれた、などというのはすごく日本的ですね。 悉有仏性。
少し前には、地域の福祉施設で生活している方の成人の振袖姿も見せてもらっています。この振袖は、会社のすぐご近所のお施主様が提供して下さったものでした。その写真をお見せしたら飛び上がって喜んでくれました。 やはり強い思い入れがあったのです。 そしてその思い入れのある着物を着てくれて、生かされたというのがすごくうれしかったという事でした。自分自身本当にうれしいことです。

今の日本で着物を着る機会というのは、ものすごく少ないです。 お茶会、成人式、日本舞踊、卒業式そして最近は観光地で着物を着せてもらう、そんな時くらいですか。 男になると着物を着る機会なんてほとんど零です。タンスの肥やしみたいな言われ方までされています。 着物が泣いています。 それが生き返ったわけです。 着なくなった着物を預かって誰かに来てもらうという活動をやっててよかった!
S乃さんとの話。 久しぶりに涵養庵でお茶しました。 ちゃんと覚えていました。すばらしい。「高校生になったら部活は何?」と聞いたら、バトミントンかテニスという答えでした。「ああ、もうお茶はやめるのかな~」と気落ちしたのは事実です。心の中深いところで、茶道部、というのを期待していたんでしょうね。
そしたら続いて出た言葉は「お茶もやっていきたい」という事でした。 うれしさ2倍増。 涙が出そうになったのをようやく納めました。
そして着物の話になりました。 「うちにある着物は気にいったものを持って行って着てちょうだい。 自分で着付できるようになれば、着物を着てさっと出かけられる。 そうしてみんなが振り返るよ。」などと話しました。
なんだか押しつけがましいかな~? 年寄りの思い込みの激しさが出てしまったかな~? などと反省もありますが、正直な気持ちです。 そうしてくれれば本当にうれしいです。
もともと、着物を預かったのは、お茶のお稽古に来た子供たちに着物を着て、お茶を続けてもらいたいというのが目的で夢でした。 少しづつ夢がかなっていきます。 とにかくうれしいです。

最初、自分自身が涵養庵を造ったのは自社の技術力を示すというものでした。自分自身が茶道を習い始めてから、茶道の奥深さを感じました。 日本の心、文化そのものという事を感じました。他人への思いやりの心、気配りの心、歴史をつないできた心意気。 外国からの心ある観光客が感じる日本的なものをすべてそろえられています。それらをつないでいきたい、という大それた思いを持っています。
蛇足
それを感じることが出来ない、自分の母国の心根の汚さを恥じることも無い、日本のすぐ近くの国の、イチブの観光客は、一言で言うと、心無いという事なのでしょうね。
一昔前の日本人もやっていた、旅の恥は掻き捨て を今もやっているだけなのでしょう。
もう少しすれば直るかな? 衣食足りて礼節を知る かの国の言葉だったような。