2022年7月コラム 涵養庵イメージ

「お茶」って面白い?

6月2日に今年2回目となる、涵養庵でのお稽古ができました。これは、5月に開催しようとしていたのが、都合がつかず6月に連れ混んでしまったものです。ですから、設えは5月としました。残念ながら、花だけは今咲いているものを使いましたから、5月というわけにはいきませんでした。6月のお稽古は16日に開催しました。

 2日のお稽古で本当に久しぶりに点前座にすわり、お茶を点てる事だけをしました。心房細動を伴う不整脈、狭心症という診断を受け、それに加えて脊椎管狭窄症となり、座ることはおろか、歩くのも難儀する状態がつい一昨年まで続き、その後コロナ禍の中にいましたので、本当のところ、お茶どころではありませんでした。お茶碗に抹茶を入れ、お湯を入れシャカシャカするだけでしたが、本当に久しぶりのことでした。

 今までのお稽古では、できる範囲で、部屋の設え、お道具選び、はじめと仕舞いのご挨拶だけをやってきました。座れるようになったと言っても10分から15分がせいぜいで、腰かけてのお点前は、何か嫌でやりませんでした。

 2日も着物を着て、茶室の中で皆さんのお点前を見ていました。「次にお茶を点ててみませんか?」と珠乃先生からお声がかかりました。 最初、渋っていました。なにせ、ここ数年お点前をしていません。教本は読んで、自主稽古(エア点前)をしてはいましたが、お茶というのは実際に先生の前でお茶を点てて注意されないとだめだというのがすごくよくわかりました。細かいところは本には載っていません。とにかく要するに自信も無かったのです。

 一連のお稽古の流れの中のお茶を点てる事だけをやらせていただきました。作法に則ってお棗から茶杓で抹茶をとり、お茶碗にいれて、柄杓で釜から掬った湯を茶碗に注ぎ、シャカシャカしました。右手左手とお茶碗を移しながら畳に置き、それを運んでもらいました。挨拶を頂き、挨拶を返し、そこまででおしまいです。 思ったよりも緊張するものでした。しかし、これだけでも満足しました。 なぜなのでしょう?

 自分がお茶をしようと思った、そもそもの原点を考えてみました。このことは以前にも書いたと思います。 茶室を造ろうと思ったのは、岡田建設の技術力のアピールです。 多くの住宅メーカーが在来木造と言って建てているのは、自分の中での本当の木造住宅ではないと考えています。 集成材までは許せても、圧縮したパルプに(これも木材が原料ですから嘘ではないのでしょうが)木目をにビニール系の材料に印刷した枠などの造作材や建具を使っているのは「どうなのよ!」という気持ちなのです。 

ある程度の規模の住宅販売会社がこのような材料を使わなければならないのは、熟練の度合いが低い職人が施工しても、均質に大量に建築できる。そうしなければ、会社を維持できないという根源的問題があります。  修行をしなくても、アルバイト程度でも工事ができる人間を使わなければならない、ということです。造作材を加工するというのは、ある程度修行をした職人でなければできません。 それと使用材料を考えた時に、日本の山から切り出したのでは、供給的なことも対処でないのです。そして、曲がる、割れるという材料の施工は、修行していない人にはできないのです。

そして、今の一般の人たちには本物の木を触る、見るという機会が限られています。自分は特に子供たちに本物を見たり触ったりさせてやりたいという気持ちを強く持ちました。  茶室ではそれができるのです。 茶室の中で本物の木、畳、襖などを見て、触らせる、それをやりたい。そのようなわけですから自分には茶道を習おうという気持ちはありませんでした。 茶室を造っても、お茶道具類を用意するとかも考えませんでした。 

しかしながら、お道具はもとより、庭の灯篭も蹲・踏み石もそろってしまいました。友人、親戚、建て主様、いろいろな方々からお道具類や石を頂戴できました。石などはタイミングが良かったのです。昭和初期に建てた家を建て替えるという事で、もう茶室を造らないからと一式持って来ることができました。 皆様方ともに「使って下さるなら、石も道具も喜んでくれる。」という事でした。 今になってみるとそのお気持ちが少しですけれども分かるようになりました。 そのようなことで、子供たちにも、友人から頂いた人間国宝の人の作品を使ってもらう事が出来した。 

 お茶って何が面白いのかなあ? お稽古が終わり、片づけをしている時に、そのようなことを考えました。 6月2日のお稽古で少しでも実際にお点前できたことはうれしいことでした。 「ああ、できた!」でした。 参加された方も、「やっとできました。良かった」と言ってうれしそうでした。 何が楽しいのだろう?  

千利休イメージ

自分の茶道についての知識などは、千利休は知っていましたが、弟子である秀吉に殺された人くらいのもの。表も裏もわからず、武者小路だの江戸などは、何なの?というものでした。正座していれば足がしびれるだろうな、抹茶というのは苦いのだろうな。ご挨拶や気配りが大切です、というのは面倒くさいな。 こんなところでした。  お道具についても、鉄瓶があり軸も一本ありお茶碗もそれらしいのがあるから、「それらと茶室があればできんじゃね?」このようなありさまでした。 前の文章の中でわかりますか? 釜も鉄瓶もお湯を沸かすというのは一緒で、大きな違いはありませんでした。

茶道教室を開くというのも、結婚して数年たち、子供がいなかった娘がお茶の先生をやれればいいな、という事から考えたものでした。 

自分自身がお茶を習うというのはそこでも全く考えていません。「本当に何も知らなかったなあ~」というのが今の偽らざる気持ちで、それは真実です。そのような状態で茶室開きなどをやったのですから、知らないというのは怖さも分からないという事なのです。 珠乃先生との僥倖がすべてだったと思います。

球乃先生という方とのすばらしいめぐり逢いがあり、あれから、丸4年が過ぎました。情けないことに自分は今までの期間で半分もお稽古ができていないのではないでしょうか。 不整脈、狭心症、脊椎管狭窄という病気にかかり、その後にコロナ禍でした。 自分の病気の時は、茶室内で見ていることだけはできました。コロナ禍の中で、やはり小間の茶室内では密は避けられません。お稽古そのものを中止しました。 それでも何とかお稽古はできないか?と考えました。 お茶のお稽古を考えていなかった広間でのお稽古をすることになり、集会室を少しいじくって、お稽古を続けてきたわけでした。

そのような中で、おっ!と思ったことがありました。 稽古場は涵養庵でした。それが、コロナ禍のなかでも密にならずにお稽古を続けるために広間でのお稽古をしたわけです。子供たちから最初の内は、「涵養庵は暗くていやだ」という声も聴いていたのです。 それが、「早く涵養庵でお稽古したい」と変わってきていたのです。 広間は、集会室という位置づけで造作していたのですから、もちろん涵養庵の趣はありません。子供たちが両方でお稽古しているうちにその違いが判ってくれたのかな? と思ってしまい、うれしかったです。

ようやく今年の4月から涵養庵でのお稽古が再開できました。しかし、まだ子供たちには参加するかの問い合わせをしませんでした。コロナ感染者が少なくなってきているとはいえ、4,000人3,000人のレベルでした。呼べませんでした。 早く子供たちにお稽古してもらいたい、というのが偽らざる気持ちです。

そのような子供たちに、お茶のどこがおもしろいのか聞いたことはありません。一度聞いてみたいと思っています。 ですから、一人の年寄りが、どうしてお茶が面白くなったのか考えてみる事にしました。

お茶って、なぜ、どこが、何が面白いのだろう? まだわかりません。しかし、自分にとっては、面白いことは確かです。 亭主として、確かに大変です。お稽古日が決まるとお道具の選定をします。 最初の内は、「どれにしようかな~、大変だなあ~」と思ったことは確かです。 お茶碗については、自分の好みが出ますから、同じお茶碗を何回も出したりすると、これはちょっと前に出したな、とか考えます。お軸も月ごとにその月にふさわしいお軸を順繰りに出してかけていました。あまり楽しさを感じませんでした。 今はどうなのか?

  再開できたのがうれしいのです。 皆さんと茶室でお茶を頂く。それが楽しいのです。そこで、感じました。

そして、6月16日、これは6月のお稽古として開催しました。そして思いました。

「一期一会」です。 いつもの人たちと、いつもの涵養庵で一緒にお茶を頂く。 同じなのですが、それは以前とは違う。その時のことだけ。 うっすらと感じました。  そして、「喫茶去」 お茶をただ楽しみましょう。 考えなくてよいことでした。 そのようなことを考えました。 だけど子供たちのお稽古が再開された時には、そしてもう少し期間を置いてから聞いてみたいのです。 そのようなお話をしてみたいです。

掛け軸 一期一会 

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