高田松原津波復興祈念公園の外観

今年も3月11日について思う事

12年目の3月11日が近づいてきました。それでというか、やはりというか、テレビ、新聞、などマスメディアでは頻繁に東日本大震災のことが取り上げられてきています。
先日は防波堤のことが取り上げられていました。 確か作家さんが防波堤に沿って宮古から亘理だった(福島まで行ったか?)か付近まで南下してその土地、その土地の住民のお話を聞いて歩いた番組だったように記憶しています。 
自分に中では、もともと防波堤のかさ上げとか新設工事は地元の住人の意向とは関係なく、政治屋と結んでいる土木業界を潤わせるためとしか思えないものというのがあります。
 ある半東の岬の先端部分に10軒に満たない集落があり、皆さん70歳以上。一人か二人暮らし。そこに数億円の防波堤を作っていました。費用対効果をどうこう言うつもりはありません。しかし、集落ごと公費負担で安全と思われる場所で、海を眺められて、生活にも便利にしたところに移転してもらえば、無粋なコンクリートの壁を造ることなく、陸中海岸国定公園の景観を維持できたと思ったものでした。
田老の防波堤は昭和大津波とかチリ地震津波があって造られていて、以前から町中から海を見ることは出来ませんでした。学生のころに自動車で、父親の故郷陸前高田、母親の故郷大船渡から三陸沿岸を北上し、田老の街に入った時にその防波堤を見ての驚きは忘れられません。

田老の巨大な防波堤
田老の巨大な防波堤

今回その10mの堤防高さを越えた津波だったのですから、今度造る時は今回の東日本大震災の津波の高さ以上が当然だという地元の人達の思いは、「この高さにしてもう大丈夫」、という事のようです。
しかし、ほかの地区の人たちの思いは違うようでした。「海が見えなくてさみしい、」「これが本当に必要?」という声があり、ある町では、堤防を造らずに以前と同じように町から、海岸の景色が見られるようにしてありました。ここでは、住民の皆さんは高台に住まいを移しています。
別の地域のある年配の漁民の方は海ではなくコンクリートの壁を見ながら、こんなになっちゃって、みたいなことを話していました。大部分の穂とたちの気持ちだろうと思います。

3.11の津波の影響で出来た防波堤
3.11の津波の影響で出来た防波堤

岡田のルーツ陸前高田では、10m以上の土盛り工事の後、街並みが形成されつつあります。そこを見た時すごく違和感がありました。 都市近郊の商業施設をこしらえ、レストランなどをこしらえ、人が集まってにぎやかさを呼び戻そうという事のようです。 しかし、かさ上げ工事の期間に若い人たちはどんどん市を離れて、地元の人口は減っています。 このような施設とレプリカの一本松で人を呼ぶことができるのは、ほんの一瞬のように思います。
大津波のあとで、「ああー高田がこんなになっちゃった!自分がここの復興計画を任されたらどうするか」と考えたことがありました。それを思い出して書いてみます。もちろん資金の裏付けなどは無しの単なる夢想、夢物語です。
まず、土砂による土地のかさ上げはしません。鉄筋コンクリートの人工地盤を造ります。「また、津波が来たらどうするの?!」 あの津波によって、町の大部分が流された映像を見ました。残っていたのは、一本松とRC造8階建てのホテル、RC造4階建ての勤労者住宅でした。RC造の建物は流されていませんでした。
人工地盤面の高さは地上15mにします。地盤上は野球、サッカー、陸上競技など運動場、そして世界中から患者がくるような最先端の装備を持つ病院です。病床は1000くらいかな。病院は建て替えることができるように近接した土地を運動場として開けておき、伊勢神宮みたいに施設・設備が老朽化した時に移行が楽になるように考えます。 
病院施設だけではなく、世界中から医療者が寄ってくるような研究環境も整えます。 医療従事者の教育施設も作ります。医学歯学の単科大学、看護ほか、介護、鍼灸、マッサージなどの専門学校も。当然、学生、生徒たち全員の寮も併設です。当然これらも建て替えが必要になった時、スムーズに移行できるスペースは確保されます。
こうなると、地元の第一次産業の従事者は、地元の食材を供給し、生活は成り立ちます。三陸の海の幸、山の幸、農産品は絶品です。食べた人たちが感動する味です。当然、人が増えることで二次、三次産業も成立できます。全く新しい街が出来上がるのです。
従来の高さの地面は国道とか、通過車両を通します。 自動車用の道路とします。言ってみればディズニーランドの地下部分みたいにするのです。地上の施設に資材を運ぶのも地下道路です。 人工地盤に開口をとって 自然光を取り入れます。 電気、ガス、水道などの供給のための配線、配管はこの部分に設置します。埋めません。メンテは楽なように表しです。 これらは自動車道路とは離します。自動車事故で火災が発生したりして、切断事故が起きないようにするためです。当然のことながら、再び同じ規模の津波が来ても壊れない対策も施します。
大船渡港の桟橋を整備して、世界一周の超大型客船が停泊できるようにもします。 また、世界の富裕層が病院に来るために、近くにプライベートジェット機が離着陸できる空港も作りたいです。


3月11日が来て、被災した直後に考えたことを思い出しました。住民の思いとは別なものを造ったという記事を見て思い出したことです。 今の陸前高田のあの町並みは、自分の成功体験に酔った、発想がその範囲から抜け出せない人が考えたことのように思います。あれで今後発展が見込めるのか?自分の親戚の人たちも冷めた感想しか持っていませんでした。 

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