2023年新春のご挨拶

令和5年新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。 皆様におかれましては、ご家族ともどもお健やかに新年を迎えられましたことと心よりお悦びを申し上げます。 旧年中はお世話になりました。今年も昨年同様のご愛顧をよろしくお願いを申し上げます。  

令和4年はとんでもなく早く過ぎ去りました。 世界的にも個人的にも、いろいろなことがあり過ぎでした。コロナの終息も見えず半導体不足から設備機器の納入がままならず、2月になってロシアがウクライナと戦争を起こし、ロシアに対する制裁とかもあって、建築資材価格の上昇がますますひどくなりました。物件を施工中にも資材単価が上昇し会社の収益を大きく損ない、大変な目に遭いました。

個人的には、7月には家内の入院騒ぎが勃発しました。 3か月間入院をして、その後すぐに富津に転地療養をさせました。 現在生涯初めてのやもめ暮らしです。 

そのような際中でも、おかげさまでつつがなく新年を迎えることができました。神様のご加護と、皆様方のご支援があればこそと、本当にありがたいことと思っております。心から御礼を申し上げます。

令和5年もロシアとウクライナの戦争は続く事でしょう。ますます影響が深くなってしまうと思うと、お仕事をどのように進めていけばよいのか、本当に悩みます。 自分自身がいつも思っていることは、過去の成功体験が、自分自身も他人様のも、ほとんど役には立たないという事です。過去の成功体験を二匹目のドジョウみたいにまた同じようにやろうとしても成功するとは思っていけない、全く新しい事象に対して、過去を重ね合わせて楽をしようとすれば痛い目にあうだけだと考えています。しかしそれが楽なのですけれども。

おかげさまで順調にお仕事のお声をかけて頂いております。とにかく今年も心を込めた御仕事を一所懸命にさせていただくだけです。 降りかかってくる災難を嘆いていても止むわけではありません。 出来るだけ災難をよけながら、少しは当たってもしょうがないか!みたいな気持ちで目の前にやるべきことに向かっていきます。 今年は、茶室「涵養庵」でのお稽古と続けさせていただく中で、もっと子供たちに参加してもらえるようにと考えています。 それが、涵養庵を造った目的(子供たちに素晴らしい日本文化の継承)でもありますから。 そして、日本の木造文化を守りつなげていくことになるとも思っています。

家内が療養先の富津にいますので、令和5年のお正月は70年を超える人生で初めて、一人で迎えました。 50年以上続けていた成田山新勝寺への元朝参りは、コロナがまん延した3年前から息子に任せています。 元朝8時ころに氏神様である東新町氷川神社に初もうでに行きました。 いつもはお節料理で新年を寿ぎ、その後年賀状を見たり、まったりしてから午後2時ころに氏神様にお参りをするのが恒例でした。そうすると初もうでの人たちが道路まで並んでいるのが常でした。 今年は、拝殿前に10人足らずの人たちがいたくらいでした。今後はこれを恒例とすることにします。

 お参りから帰って来てから、お節を並べました。おせち料理は暮れに富津から送ってよこしたものです。お雑煮だけは、31日にスーパーで買い物をして間に合わせました。 そういうことで、テーブルの上には普段のお正月みたいな料理を並べることができました。

 愚痴ですが、7月の家内入院以来、3度の食事の用意(以前からすごくたまには料理をしていました。片付けも含めて。)、洗濯(はじめは洗剤、柔軟剤を所定の場所に入れませんでした。洗濯物に振りかけていました。量も適当)、各部屋の掃除(入浴するという事は風呂場掃除がついてきます。)などをやってきて少しづつ慣れてきていたつもりでした。年末の大掃除とか、お正月を迎える準備などが上乗せされると、本当に大変でした。

 世の年配の旦那様方にご忠告します。遅くならないうちに、奥様のお仕事を分担しておいた方が、ご自身のためにも良いことではないかと思います。 

この世の中、何があってもおかしくないです。 防災も含めて事前の備えが大事です。 

年頭に際しまして、誠に僭越ながら、経験に基づく切実なご忠告をさせていただきました。

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