お茶のイメージ

表千家家元2代展、サントリー美術館 美濃の茶陶 見学して

日本橋高島屋まで、表千家  “当代家元猶有斎宗左、前家元而妙斎宗丹のお好み物展” (1)を見てきました。 翌週は、六本木のサントリー美術館で “黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部、美濃の茶陶 展”(2)を見てきました。 1は高島屋まで車を運転して、2は池袋まで車で行き、そこから地下鉄を乗り継いでいきました。
だいぶ脚部の痛みを感じなくなったからこのような気持ちになりますし、できます。 逆の言い方をすると、一日一か所が限界で、この二つの展覧会を一日で回ることはまだできません。しかし自分にとっては大きな進歩です。徐々に体力をつけて、2か所を一日で回れるようなくらいに戻したいとは思っています。

1の会場は、これは当然といえば当然ですが、やはり着物姿の女性が多かったです。又、自分が思っていた以上に男性がここに足を運んでいました。しかし、男性の着物姿は自分たちが会場にいる間には見かけませんでした。 こんなことを書いている自分自身、着物を着てはおりませんでした。正直言いますと、私は着物を着て町の中を歩く勇気はありません。
想像するに、新宿・渋谷・池袋は完全に浮くとは思いますが、日本橋や銀座なら、着物で歩いてもかっこも良いように感じます。着物姿の男性、特に年配の男性が歩いているのを見かけると、ああ、勇気があるね、と思いますが、まだまだ自分もという気にはなれないのです。気恥ずかしいのです。

表千家 先代、当代の好み展

円熟と気合 長い、長い伝統を引き継ぎながら、自分をどう表現するのか?
各流派が競い合う中で、又、ご先祖様の業績もある中で、それを受け継ぐ覚悟は他人には理解できえないことだと思います。
自分と過去をどのように折り合いをつけるのか。先代と当代が並び立つというのは、ずいぶんと昔のことになるそうです。  先代が脇で見ている中で自分を出すという事は、伝統芸能の世界では常にあることです。 歌舞伎、能、狂言、日本舞踊もそうですし、千家のいろいろなお道具作りの人たち(十職さん)の世界も同じです。
道具の好みの違いについては、違って当たり前ですが、芯は同じように感じました。
面白かったのは、茶杓でした。 利休以来、15代の表千家の各宗匠さんご自身が手掛けているわけです。 今回、先がとがっている茶杓が展示されていました。会場で、着物を着ていたおばさまたち4人がそれについての論評をしていました。他のお道具についても、別なおばさま方が、いろいろなご意見をしゃべっていました。一言でいうと、「まだ、お若いから。」「練れていないとか。」となるのでしょうか。

参考URL:表千家  “当代家元猶有斎宗左、前家元而妙斎宗丹のお好み物展”

サントリー美術館

表千家  “当代家元猶有斎宗左、前家元而妙斎宗丹のお好み物展”

美濃焼と瀬戸焼の違いについてパネルに説明がされていました。 その場では、「ああそうなんだ。」と納得していましたが、会場を出たとたん、残念ながら脳内の記憶から飛び去ってしまいました。 非常に悲しい事です。
会場は、あまり人もいなくて、非常に楽に回ってみることが出来ました。特に脚の痛みを心配しながらという自分には、非常に良い環境でした。ただ、腰かける場所が少ない・・・。
展示品は楽しみました。

参考URL:サントリー芸術財団50周年 黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 -美濃の茶陶

そこで感じたこと。昔の、一代でのし上がった大金持ちは、茶碗などの茶道具、絵画などにお金を使ったのですね。それから、数寄屋建築の普請。それがステイタスだったのでしょう。大変だったと思います。真贋を見極める授業料も大きな金額になったと思います。今の時代、そういうものを見てすごいな、良いな、とか思う人というのはかなりマニアックですよね。
しかし、展示されているものの由来などを読んでおもしろかったです。
現在ののし上がってきた大金持ちは、簡単な話、自動車、時計、宇宙旅行、ブランド物の洋服などなど、ものすごく高価で、定価のあるものに興味があり、土の塊を形にして色を付けて、片方をわざとへこました器とか、木目模様とか形が面白い材木とか、要するに勉強しなければ価値がわからないものには興味がわかないのかと思ってしまいます。
お付き合いはないので、寡聞にして、実際どう考えているのかはわかりません。
定価がついていれば、その数字をみて、高いものは誰もが高いものと思ってくれます。
見せつけたいという欲求は十分に満たされると思います。自分が思うのに、これらは、20年後その価値はどうなるのかなあという事です。永続という事を考えます。
建物にしても、大理石張りの玄関や浴室。金メッキ(金無垢もありか)のアールの階段手摺。高い吹き抜け天井から、バカラのシャンデリア。本当にマキを燃やせる暖炉。
これがステイタス。
何か、日本人の歴史を考えると、どこにもないな!と思います。
暖炉を囲炉裏とみれば、あるっちゃ、あるか。

価値を定価でしかわかろうとせず、良さを感じられない人は、自分の見立てがあっていたときの醍醐味はわからないでしょう。 実際に茶室を作ってみて、和紙、材木、柱、畳、襖などの建築資材、お茶碗、釜、などのお道具。全部に金額はついています。しかし定価ではありません。
定価は売りたい人が決めるもの。 買う人はその品物に見合うだけの価値があるかを判断する。自分自身、それの価値がわかるようになるのはだいぶ先になる事でしょう。
30年以上前に、ある建て主さん(大観や松園などを所有していました)から、絶対に本物を見る事!偽物は見るな!と教えられました。美術館などに行って国宝とか、重要美術品クラスのものを見なさいと。
不思議に、本物が醸す雰囲気がわかるような気がします。但し、ここでこれを買えばいくら儲かるという気持ちがあると、その雰囲気がなくなるのではないでしょうか。

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