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メディアの季節感

3月10日は東京大空襲。十万人ともいわれている、たくさんの民間人が犠牲になりました。日本が戦争に勝っていれば、民間人を無差別に殺している、完全に人類に対する罪、アメリカの戦争犯罪と思いますが、負けると何も言えないです。
この頃は3月11日、東北地方の津波のほうに目が行っているようです。
6月23日は太平洋戦争での戦いのうち、沖縄県で組織的戦闘ができなくなった日とされ、慰霊の日と呼ばれて、追悼式が行われます。 この日前後の4~5日間、新聞、テレビなどのマスメディアは、一所懸命に沖縄の様子を放送します。 最後の激戦地・摩文仁の丘、ひめゆり部隊、そのほかいろいろと流します。戦争の悲惨さと平和の貴さを。
そして、8月になると、6日は広島に原爆を落とされた日、9日は長崎に原爆を落とされた日となります。そして、15日の日本の敗戦の日となります。 「いまの平和を大事にしましょう」ということを、時間を割いて流します。
沖縄戦犠牲者慰霊の日にも、原爆が投下された日に原爆被害者慰霊の行事にも、安倍首相は、挨拶をします。ものすごくいやらしい。
沖縄の慰霊の日では、「沖縄に寄り添って気持ちを汲んで。・・・・」と言っています。やっていることは民意を無視して、地盤が悪かろうが、金がかかろうが、サンゴが無くなろうが、どんな無理があっても辺野古に基地を作ることをやめません。そして、沖縄の基地を減らそうなどとは全く思ってもいないとしか感じられません。
原爆被害者の慰霊祭でも、「世界から核の脅威を・・・」 アメリカが核実験を再開しても何も言わないでしょうがね。 核兵器にすぐにでも転用可能なプルトニウムを世界で一番貯めこみながら。
8月15日の敗戦記念日じゃなくて終戦記念日にも、天皇陛下のあとに挨拶をします。陛下が、世界平和に対する思いを述べられた後で、それらしく、全く気持ちの入らない、しらじらしい言葉を並べることには本当に違和感を感じます。
本当にこの人は、慰霊の気持ちがあるのかわかりません。それぞれの慰霊の場で読む文章は、戦争はたくさんの人々を苦しめ不幸にしてきたみたいな話をしれっと話します。普段やっていること、言っていることは全く違って、戦争ができる国にするための兵器をそろえ、憲法を変えようとまでしているのにです。
お友達のためにするときは迅速に動くが、肝心な時には、自分の指示は末端には届かず、マスクを各家庭に配ることもできないくせに! 彼が、「外国が攻めてきた!戦争するぞ!」って言っても指示は届くのでしょうか? 実際に、相手に向かって鉄砲を撃って殺せるのでしょうか?
ヘイワなニホンです。

テレビなどは、6月23日を過ぎると沖縄の季節は来年までめぐってきません。本当に手のひらを返したように全く沖縄から離れます。 8月の原爆の季節まで、食ったり、たたいたりのお笑い番組を流します。
8月の末になると、9月1日関東大震災のあった防災の日に向けて、防災関係のことを多く流します。最近は3月11日に負けています。(不謹慎です。勝った負けたではありません。ごめんなさい)
普通のマスメディアからは、季節を外れた時期には、沖縄の戦争犠牲者の話、原爆による犠牲者の話、平和の話、防災の話などを、聞きません。首相が慰霊の場で話したことを検証することもありません。時の政府が話したことをそのまま流しっぱなし。大本営発表をそのまま流したのと同じ体質が、太平洋戦争が終わってもう75年が過ぎるのに、まだ連綿と続いています。
「事実しか流しません。」という言い訳をすることでしょう。 しかし、政府がいつも100%嘘を言わずに事実のみしか発表しないのですか? 「その時は事実と思ってそのまま流します。」というのでしょうね。 それが、大本営発表だったでしょう? あの時には、事実と違うのではないかと分かっていても、自分可愛さからそのまま無批判に流したのでしたよね。 その反省は見られません。

ついでだから、流しっぱなしで思いついたことを書きます。  新聞の社説というのは何なのでしょう? その時の話題について、社説と称するものを書きます。 あれの意味は何なのでしょう。非常に良いことを書いているな、ごもっともです、というものはあります。 しかし、その記事に基づいて、その新聞社がキャンペーンを張るということはありません。 読者に対するガス抜き程度としか考えてはいないのではないでしょうか、と思っています。 言いっぱなし。書きっぱなし。
社説は、毎日、いろいろなことを書くのだから、それらすべてを追及するのは無理だということはわかりますが、一旦、ときの政治批判をしたのであれば、それを追及してほしいなと思います。弱みを見せたときにしか、追及しないというのが習い性というのも十分に認識していますが。
黒川検事長しかり、元法務大臣夫婦しかり。強い時にはわかっていてもきちんとした批判報道をしませんでしたよね。季節感をしっかりとらえて、いまだ!という旬を見て行動したのだと思います。

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