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ジャニーズ事務所騒動について思う事

3月にイギリスBBC放送がジャニー喜多川ウジの事務所所属タレントに対する性的暴行事案を放送した。 日本の報道機関は、スルー。 どこもそれについての報道はしなかったように記憶している。報道しても1回程度だったと思う。

4月に、元ジャニーズJrのオカモト氏が、外国特派員協会で、自分が故ジャニー喜多川ウジから性的被害を受けていたことを告白した。(ウジは漢字で書くと氏。ウジ虫とは関係ありません。念のため。気になる方はウジを氏に置き換えてお読みください。自分は氏と書きたくなかっただけです。) なぜ、外国特派員を前にした発表で、日本の新聞社を集めた記者会見ではなかったのか。 わかり切っている。日本の報道機関は絶対に取り扱わないとわかっていたからです。

5月になり現ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長が動画でこの件を謝罪した。記者たちとの面と向かっての会見ではなく、一方的に自分の言いたいことだけを流せる方法での謝罪。 はっきり言って卑怯極まりない。それも「自分は知らなかったことですけど、一端の責任はある」と。

1999年、週刊文春がジャニー喜多川ウジの行為を記事化し、事務所が、「名誉棄損だ!」と裁判を起こし、ジャニー事務所の敗訴が確定している。 20年くらい前のこと。その時には、景子社長は、きっと会社とは全く関係のないところにいたのでしょうね。オジサマが卑劣なことをやっていたことも親戚の中では隠していたのでしょうね~。 何せ恥ずかしくてお天道様の下を歩けないことですから。それほど報道もされなかったし。 あるいは親戚の方々は、「最高裁が間違っている!」として、我らのオジサマが正しいのだと吹き込まれていたのでしょうか? だったら「知らない」ではないはずですけれども。 報道機関は、「知らなかった」についてその後黙っている。知らなかったという事に疑問を持たないから黙っているのか、嘘だと思っていても嘘じゃないと思いたいがためにわかっていても黙っているのか。 少し前には、忖度!忖度!って言っていたな~

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そんなこんながあって、各報道機関は、過去においてジャニー喜多川ウジの少年たちを、玩んでいたことをわかっていながら放送しなかったことについて、会社の幹部が「深く反省して、今後の放送に生かしていく」とどこも同じような発表をしている。

そうじゃないと思うのです。「ゴメンナサイ!ハンセイしました、」で終わりではないのではないかと思うのです。「反省しました。なぜ報道しなかったのかを突きとめて社会に発表し、今後このように権力に対して腰が引けるような対応を取る事が無いようにすることを約束します。」と言ってほしいのです。

しかし、権力におもねるのは日本の報道機関の長い伝統です。その伝統を打ち破るのはサラリーマン社長ではとても大変な事でしょうね、きっと。これはサラリーマン社長に対する偏見と言われるでしょうね。侮蔑です。 しかし、かの戦争時に、うその内容の大本営発表を報道して真実を伝えなかった、そのことを敗戦後も反省した格好だけで、実際は報道会社が権力におもねる体制を維持した、そういう長い伝統を打ち破るのですから、それは一筋縄ではいかないでしょう。おそらくそのようになることは無いでしょう。日本は伝統を重んじます。素晴らしくなくても電灯は守ります。

岸田首相の息子。親父が公的役職の首相秘書官をやめさせた問題も根に同じものがあるように思います。記者たちは、首相番記者たちは交代で24時間官邸に張り付いているわけだし首相公邸で何があったかを知っていたはずです(自分の憶測にすぎません)。また週刊誌の報道に先を越されました。元秘書官は「親戚と忘年会」などと言っていますけれども、報道機関は写真に写っていた連中に直撃取材をして親戚かどうかも確かめない。元秘書官は年初に首相について行ってガイ游して、、オヤジサンがオシゴトをしている最中にロンドンの高級デパートでお土産を公用車を利用して買いまわっていたという事もありましたっけ。あの時は更迭しなかった。あの時も随行した記者連中は報道しなかった。まあ、当然だと思っていたのでしょう。

ジャニー喜多川ウジがやったことは、同ウジの優越的立場を笠に着たものすごく卑劣な犯罪です。しかし、あの類の人間はこの世には大勢います。 自分が言いたいのは、日本の大部分の、記者クラブに入っているリッパな(と思われている)報道機関が、とるにも足りない市井のまるっきり役立たずな輩が同じことをしたときには何日も大騒ぎをするのに、あのジャニーズ事務所の前社長がやると、無いものとしてしまう。その姿勢は、政治の権力者、宗教の権力者などに対しても同じで、絶対に悪いことしているのを見ても知っても報道せず無いものとする。それこそがこの日本社会の絶対悪だと思っています。

自分は、テレビや新聞などの記事は、スポーツの結果以外に正しいものは極端に少ない、と言っています。(本当は皆無に近いと言いたいが・・・センミツ?)

報道記者も、それぞれに家族があるわけだし、「これは絶対に記事にすべきじゃないのかな?」と思っても会社方針に背けば遠くに飛ばされてしまうから、同情すべき点は多々あるとは思います。しかし、国民生活に直結し、国民の権利をないがしろにすることをスクープし発表した記者が、一生を安穏に暮らせるだけの何かを与える仕組みを、報道会社が手を結んで作るべきだと思うのですが、いかがでしょうか。

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