感動とは?イメージ

感動を呼ぶ という事_vol3

この夏は、感動ものです。 まだ必要以上に暑いですけれども、感動ものを考えて秋になっちゃいました。 サンマーク出版の社長さんの文章を読んだがために、コロナ禍によるこの長い盆休みは感動とはと考えながら過ぎてしまいました。
すごく難しいです。凡人に考えさせるのは酷です。外からの熱と頭の中から発する熱で大変です。外に出ればうだるような暑さの中で、太陽光で発電した電気を無駄にしないように、最大限冷房を効かせた事務所の机で、考えてみました。無駄に出かけるなというおかみの要請を守りながら。

感動を与えられるものとは何? 考え込まず、さらっと考えて、手っ取り早く、芸術。
音楽―歌詞であったり、曲であったり、歌い手・演奏者であったり。
絵画―色彩感覚、構図   彫刻も
演劇―監督・脚本・演者・伴奏
それぞれの一級品、一流の人達が精魂込めて作り上げた作品は、すべて人の心に感動を与えてくれます。

それから大自然―山、川、土、生き物、の営み、吸い込み空気、吹く風、太陽、星などなど、その存在だけで、感動するものはたくさんある。地球そのものも一つ。

建築をやっていて感動を受けたことは何があったんだろう。ということも考えました。
前にもちょっと書いたのですが、地下1階地上2階建てのN邸は、お施主様が特別な方で、工事の最中も驚きと感動の連続でした。その内容は、ちょっと無理でしょうけれども後20年くらいしてまだ自分が生きていれば、ボケをかましながら話せると思います。まだ話せません。

それから、工事のことではありませんが50年以上前に静岡県伊東市で別荘Aをやらせていただきました。これは自分自身、学生でしたので携われませんでした。その後30年くらい前に、また伊東市で別の別荘Oをやる機会がありました。別荘A工事のときに、父は伊東市内の材木屋さんに、ある程度の材料代を前渡しをして、材料を納めてもらっていたようです。 そしてそれを最後に清算しなかったようでした。
そんなことは全く知らないで、別荘Oの工事が始まるときに材木屋さんを探し、伊東市内に1軒見つけました。そこに入って「今度、伊東市で工事をやることになりました。材料を入れて頂きたい」とお話をし、岡田建設の名刺を渡しました。すると店の奥から白髪の女性が出てきて、「板橋の岡田建設さん?」と聞いてきました。「そうです」と答えると、一旦、奥に引っ込んで、古びた封筒を持って出てきました。「前にいただいていたお金の残りです」というのです。あけてみたら、聖徳太子と伊藤博文と小銭が出てきました。本当にびっくりでした。 これも感動のお話ですよね。
建築工事に関して受けた感動話については、長くなりそうなので、また、別の機会に書くことの方がよさそうです。

 

建築で感動を与えられるものとは何だろう? 今までの自分のやってきたことはどうだったんだろう?
思い返してみると、これが!というのは、N邸のほか考え付きません。それほどに強すぎる感動をいただいたのだと思います。
しかし、みんなに思い入れがありますし、それぞれがひとつづつ違います。1軒たりとも同じものはありません。当然ですよね。家族構成も、必要としているものも、敷地の形状も違うのですから、同じものがあるはずもありません。その中で、少しは感動していただけたのかなと思うものをいくつか挙げてみます。

  1. 40年くらい前に、初めて自分自身が、本格的に設計施工した物件です。
    建物を、瓦を葺いた純和風としたかったのですが、地盤が悪く、建物を軽くするためにコロニアル葺き、屋根形状を寄棟としました。造作は米松の無垢材を使い、床は松の縁甲板、天井は敷目天井とソーラトンを使いました。一帯の下水管敷設工事で地下水を吸い上げたことで、地盤が沈下したために床が斜めになっている箇所が見受けられますが、大事に使っていただいています。この建物に対する愛着を強く持っていただいており、自分たちが死んでから壊しなさいと子供たちに言っているそうです。そこまで思っていただけているのは建築屋冥利に尽きます。
  2. 30数年前施工の大宮市の物件で、最近耐震補強金物を入れました。地震に対して耐久力を上げ耐用年数を延ばしましたので、少々の地震でもまだまだ使い続けて頂ける建物です。この建物は、岡田建設がそれまで、大手住宅メーカーの下請けで施工をやってきましたが、下請けを辞退してからの建物でした。和風住宅をコンセプトとして、玄関は1.5坪、続く廊下は6尺幅でした。壁も塗壁、天井は杉の敷目天井としました。今に至るまで感心していただき、喜んでいただいています。こちらも感動しています。
  3. 建築設計の先生のご自宅も何軒かやらせていただきました。その、先生方が設計した物件をそれぞれ何軒かやらせていただいた上での、ご自宅の施工です。他にも施工屋さんはいらっしゃったと思います。その中で岡田建設を選んでいただけたことは大変にうれしかったです。その先生の設計はとてもあか抜けていて、自分にとっても好みが合う建物を設計していました。
  4. 福島県北塩原村の秋元湖の近くでの別荘も思い出です。施主様は板橋区の方です。磐梯山を望む小高い山のてっぺんに建てました。別荘として建てたのですが、完成後、施主様ご夫妻はすぐにここでの生活を選ばれました。「夜は満天の星。朝焼け夕焼けが素晴らしい。建物の中は寒くもないし、快適。」ととても喜んでいただきました。
    建築時の思い出は、ここが国立公園内であったことで、建築施工に対して、いろいろと制約を受けたことでした。特に外部の色については最もうるさく指導されました。環境庁の職員から「赤い屋根の白い壁なんてのは持っての他です!」  屋根の色は、黒色、こげ茶色又は藁葺きだけを提示されました。銅板を使いたかったので、「銅板葺きはダメですか」と聞いたところ、それは「何色か?」と聞かれましたね。10円玉を出しました。「茶色かな?」なんて言っていました。 建てる時には、「1本たりとも木を切ってはいかん」ともいわれ、浄化槽も排水はすぐにでも飲めるくらいに浄化させろというくらいのものを入れました。」
    建築後、毎年5月に山菜取りに伺っていたのですが、最近はこちらの身体の具合が思わしくなくご無沙汰しています。工事中春夏秋冬通いました。春先、雪が解けるころから設計で現地に伺い、夏から施工が始まり、秋の紅葉、初冬と裏磐梯の四季はとても素晴らしかったです。前日まで緑だった木の葉があくる日の朝に、少し色づくのです。
  5. 別荘ついでに、小諸の別荘も良い思い出です。 天井扇と取り付けた吹き抜けの居間・食堂、薪を燃やす暖炉、大きな柱を立てて、大きな梁をかけて、典型的な山の別荘でした。玄関に使っていただいた木製ドアは、あるお施主様が以前に建てたときの特注制作もので、それには自分がデザインした思い入れがありました。立て直した際に防火戸の指定があり、使えなかったので、廃棄せずに保管していたものなのです。「上げますから使ってくれますか?」とお聞きしましたら、そのデザインも気に入っていただいて再利用したものです。この建物で、初めて遮熱材を本格的に導入しました。「寒い夜も、寝るときに太い薪を1本ストーブに入れておけば朝まで暖かい」と感心しておられました。ここでの、ネックは雑草です。裏磐梯も伊東市も雑草に関してはあまり苦にしていませんでした。裏磐梯は火山礫の上の地盤、伊東市も同じような火山岩の地盤でした。火山由来の土地の雑草はあまり気にならないのかもしれません。小諸は山土。富津は山砂。雑草の刈り取りは大変です。
  6. 都内では、戸建て住宅、木造アパート、鉄骨、鉄筋のマンション、いろいろとやらせていただきました。みんなそれぞれの思いがあります。賃貸住宅では、木造の方が長い間利回り良く稼いでくれますね。
    戸建て住宅の中での思い出の一つに、建物が仕上がって、ある方がそれを見て、「心がこもったお家ですねえ」と言っていただいたことでした。このように言われるのは、自分だけではダメなのです。携わった職人すべての心が込められていないとそうは言ってもらえないと思います。これはうれしかったです。その方にも感動していただけたと思いますが、自分自身もその言葉に感動しました。
  7. ほかにもありますが今回はここまでにします。
    少なくとも、自分は、ご依頼を受けて、設計に入り、家を建てさせてもらうとき、まずは、お施主様の希望はすべてかなえるということを考えて、考え抜いてやってきました。敷地の問題、お金の問題などは一番大きくて、克服が困難な問題です。どこまで妥協してもらえるかでした。
    家が完成し住み始めて、15年経って、20年経って、「ああ、岡田はここまで考えてやったんだ」と思われたいから、考え抜きました。 こう言ってもらえるという事も一つの感動ではなかったかと思います。

限られた予算の中で希望を満たすということにおいて、最大限の効果を発揮させるには何をすべきか?なおかつ、更に上の感動を与えることはどうのようにするのか。
暑い夏に冷房の効いた事務所で一所懸命考えています。
まだ、この感動ものは結論が出ません。 冬になるまでか? コロナ禍が収まるのと感動話の結厘を出せるのとどっちば早いかしら?

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