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戦争と宗教

8月になって、広島、長崎の原爆投下、敗戦の日と続き、それらの慰霊祭が執り行われました。 前にも書きましたが官邸スタッフの役人が彼に忖度して書いたであろう、日本国総理大臣のあまりにも誠意のない、異例(じゃない慰霊か)の言葉にあきれながら、短い時間でしたが、亡くなられた方々に黙祷を捧げました。
いつも、「新聞は戦前から時の政府の言う事しか書かない。テレビなどを含めたマスメディアの報道内容で信用できるのは、スポーツの勝敗だけだ、」と言っている自分が新聞をじっくり読みなおしたのは、岡田建設のホームページでいろいろと書くようになってからです。政治欄はもともと裏読みをしていましたし、裏読みしてこういう事だろうな、と考えて、それが後日その通りになると、非常に面白いものです。

2020年8月18日付の東京新聞に{仏教の戦争 省みる旅 一戸彰晃氏} というコラムがありました。 この面はいつも見ていました。

仏教イメージ

仏教の僧侶(真宗大谷派)として、「なぜ、仏教が平和を守れなかったのか」と考えたものです。太平洋戦争中、中国仏教の最高指導者が、「仏教精神で戦争をやめ平和を実現しよう」と日本人に呼び掛けたのに対して、日本の仏教有識者の団体が、{中国と東亜の平和のため}として戦争を肯定した、ということです。
逸れます。

この仏教有識者の団体とは仏教者あるいは僧侶のことではないことを祈ります。 自分自身、政府関係の有識者懇談会とか、専門家会という集合体を信用できないと思っています。政権の意向を受けた役人が、それに沿った意見を持った御用学者、専門家、有職者(無職でないというだけ?)などを集めて意見を聞いたことにするのを真に受けて信用しているのはバカでしょ。 その中でお気楽にしてられないのはもっとバカか。
懇談会、諮問会のメンバーをどのような基準で選ぶのか? 1回に付きいくらお手当てを出しているのか?新聞記者たちは知っていてもそれを報道することはありませんよね。週刊誌がそれをやれば買って読むかもしれないけれど。
戻します。

政権の意向に沿う事しかできない、信用もできない連中のことだから、中国の仏教最高指導者の言葉をにべもなく否定できるのでしょう。と思いたい。
しかし、日本の仏教集団も、当時の国策の戦争遂行に向けた協力をしてきたことは紛れもない事実です。「死んでも極楽に行けるよ」などと言って戦地に送り出したであろうこともあったはずです。[殺すな]という殺生戒を無視して、「敵を殺して来い」と言って送り出したわけです。心ある仏教者には、かなり、葛藤があったと思いたいです。
その点、当時の大日本帝国は、神道を国家の宗教としていた。国の中枢にいた人たちにとってはとても好都合なことで、それを大いに利用していた。戦争に行け!と伝える末端の役人たちにとっても、心の底から「現人神のために死んで来い」と言えるから、良心の葛藤は薄く、気持ちは楽だったかもしれません。現人神にとっては、最悪な事だったであろうことは推測いたします。

キリスト教イメージ

英米は、キリスト教を信仰する人が大部分を占めている国です。 これにも、やはり殺すな!という言葉があります。 地獄に落ちると言って、殺さないように教えてきたと思います。 しかし懺悔をすれば許されるということもあるように聞きます。 数十年前でしょうか、子供の連続殺人の犯人がクリスチャンで、人殺しをするたびに教会に言って懺悔をしていたということを読んだ記憶があります。 しかし、この宗教は同じキリストさんを信奉しながらも、キリスト者同士でとてつもない争いをしてきたわけで、ましては異教徒の命については虫けらと同じにしか思っていないようでした。 宣教師が布教に言った先々で、そこの人たちを改宗させ、従わなければ殺してきた歴史があります。
かの戦争では、焼夷弾で民間人を大量に殺すために気象条件その他を考えたり、原爆をどこに落とせば最大の効果を得られて、より多くの人を殺せるかを研究していたのもクリスチャンでした。「日本人が我々に逆らって米国の軍人を殺してくるから当然だ」と言って命令を下したと聞いています。 懺悔をしながらでしょうね。 そうすれば許されて天国に行けるという救いを信じて、でしょうか?
かの国は、太平洋戦争が終わっても、アジアでは、朝鮮でも原爆を使おうとしたり、あるいは、ベトナムで、長く悲惨な後遺症を発症させる原因物質のダイオキシンを散布したり、焼夷弾を高性能化したナパーム弾を使いました。アラブでもイスラムの人たちに対しても容赦がないですよね。いろいろと殺人兵器を試していますよね。良心の呵責を感じさせないように、何千キロも離れた場所からボタンを押せば殺せる兵器など。南米では、チェ・ゲバラの人たちに対してそのような兵器は使用しませんでしたよね。アフリカでも。

かの国は、異教徒に対して非常に冷酷なところがあると感じます。 わからないのは、黒人の多くがクリスチャンでも、彼らを差別して排除したいと思っていることです。自分たちの祖先が不当に連れてきて、いいように利用したのに。 もっとも、映画などでしか見たことが無いですが、彼らは賛美歌を自分たちの音楽にして、ゴスペルを歌いますよね。それは、白人たちにとって同じキリスト教と認めていないのかもしれないですね。

宗教は戦争の抑止力にはなりえないのでしょうか?

平和でいられるのは、わかりやすく言えば、宗教ではなく、いかに大量のお金を使えるかという事ではないでしょうか? 戦争の抑止力はお金です。 平和を維持するために、日本はもっともっとお金をためなければなりません。外国から買う戦闘機や、イージスなんてのはいりません。金がかかってしょうがないけど、戦艦・潜水艦・戦車・ミサイルは高性能なものを作っておくのです。少しは売っても良いかな?そうやってお金を貯めるのです。ため込むだけでは愚の骨頂です。普段から周辺国に、日本が攻撃されるとお金をもらっていた国が大変になるくらいのお金をばらまくのです。 日本に戦争を仕掛けようとする国が出てきて、実際にそうなったときには、当然困りますから、やめさせる圧力をかけざるを得ないようにするのです。 立派な平和主義。理想主義。
昔、福田赳夫総理大臣が、命は地球より重いと言って、飛行機乗っ取り犯に身代金を払って、人質を解放させたことがありました。犯人たちも人が良かったのかもしれません。約束を守って解放したのですから。今の世の中マネーロンダリングの情報はかなり把握できているのでしょうし、お金は後から、わからないように回収すればよいだけです。
今の時代、かの国が「交渉しない」の一点張りで、人質を殺してでも犯人を殺すことを優先したために、お互いの信頼感が無くなってしまっています。信じる神様が違えばなおさらです。疑心暗鬼の状態で、だましだまされ、だまされるのが悪い!の世の中になってしまったようです。

宗教が平和に寄与する余地は全く無いように思います。
宗教に残されているのは個人の心の安寧です。そこには介在できます。しかしその心の安寧を保つためには平和が維持されねばならないわけです。すべての個人が、そういう思いを持てば平和は維持できます。 お金では心の安寧は得られないと多くの人たちが言っています。 しかし平和を買うことができます。 鶏と卵  どっち?

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