振り袖イメージ

しおさい工房のこと

今まで“しおさいの家”と書いてきましたが、正式の名前は “古民家しおさい工房“ でした。今後は訂正させていただき、”しおさい工房“と書きます。 今回は、この春以来の懸案事項だった振袖のことが、先日、一応の決着に至りましたので、そのことを報告します。 

自分には、涵養庵で茶道を習っている子供たちに着物を着てお点前をしてもらいたいという希望があります。自分がお茶のお稽古をして数年ですが、最近着物を着てお稽古に臨んでいます。そして着物を着てお点前をした方がものすごくしっくりくることに気が付きました。しかし、習っている子供たちが着物を持っているわけではありません。それをこちらで用意できないか、してみようじゃないか、という思いがありました。

そのような中で、建て替えやリフォームなどのお施主様とお話をしていて、当然家がきれいになると不用品になってしまう品物のお話が出ます。それらは殆ど捨てることになってしまいます。 しかし奥様方は、着物について皆さん愛着を持っていらっしゃいますし、気にいって手に入れたものですからただ捨ててしまうという事が耐えられないのです。そのような時に「お茶を習っている子たちに着せたいのです」とお話をすると、「もう誰も着てくれないし、只捨てるのは嫌だし、困っていました。そのようにして生かしてくださるならば、心置きなく手放せます。」ということになり着物を預かっていました。

今年の春ころに、富津で散歩をしながら、“しおさい工房”に寄ってお話をさせてもらいました。その時に、“しおさい工房”では何をしているか、何を必要としているのか、何がほしいのかとかを改めてお聞きしました。そして、その中に成人式で、入居している子供に振袖を着せて出席させたいというのがありました。そこから着物の、茶道だけではない新しい活用方法がひらめきました。そこの子たちに着物を着せたい、着物を着て富津の街を歩いてもらいたい、というものです。 これは自分が涵養庵を造り、茶道を通して子供たちに日本文化の継承をしてもらいたい、という大それた考えに合致することです。着物文化の若い人たちへの継承です。

10月初旬に、第一陣の着物を持って行きました。まだ整理が行き届かず、特に振袖の小物で不足しているものの確認ができませんでしたし、着物に合う帯の選定もできないのに、とりあえず持って行ってしまいました。約束をしたのだから持って行かねばならないと、気が焦っていたのでしょうね。

帯イメージ

そのような中、10月初旬に持って行ったすぐ後に自分自身が帯状疱疹に罹ってしまい、富津との行き来が出来なくなり12月になってしまいました。 もう12月ですから、当然来年の暦が届きます。何気なくその暦を見ましたらば、来年の成人の日は1月8日なのです。自分自身、体を休めるためには12月中は富津には行かないでおこう、お正月に行った時に不足の小物とかを確認してから揃えようと思っていたのに、「間に合わないのではないか!」と考えてしまいました。 そんなことで先日富津に行って、“しおさい工房”に伺い、女房殿とスタッフさんとで不足の品の確認をしたのです。 その時にわかったのが、半襟が少し汚れているから新しくした方が良いとか、付襟があった方が良いとかです。そして、その不足品を揃えてお渡ししました。着物の着付けは施設側で考えてくれるという事で、とりあえず、こちらの仕事ではなくなりました。 まあ、心配になってしゃしゃり出ることがあるかもしれませんが、ここまでで、決着です。 これで一応、“しおさい工房”の子に、成人式で振袖を着せるというプロジェクトの中の、自分がやらなければならないと思っていた仕事が完了したという事です。

着物イメージ

 それから、成人式が終わってから、振袖をご寄付してくださった方にお礼状を書いてもらう事にしています。これは自分がピザをここに持ってきてふるまった後、寄せ書きでお礼の言葉を書いていただいた時にものすごくうれしかったからです。

これにて、この夏から秋の、熱中症、帯状疱疹、インフルエンザと続いた災難を乗り越えさせてもらった令和5年を終わらせられ、心置きなく令和6年を迎えることができます。

追伸 この熱中症からの病気の事は、年寄りが同じ話を繰り返すように、これから何回も書くことになるのでしょう。 その時は「またか~。しょうがないよな。」という事でご勘弁をお願いします。

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