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富津に移住する計画発動-その7

ご近所付き合いのお話 vol.1

ご近所の方が、見えました。 こちらでは区(町内会)と言っていますが、東京板橋区などの行政単位の区とは違います。町内会の隣組という事でしょうか。 その方はその取りまとめ役・班長の方でした。 Hさんとお呼びします。 Hさんは、ここらの昔からの住民です。
「この班は15軒あり、最近は新しい方が増えています。 区費(町内会費)は頂いているようですね。 年に2回くらいこの地域の清掃日があり、全員参加になっています。」という事から話し始めました。 
近隣挨拶の時に回った一軒が12年前に来た方であることはお話を聞いて知っていましたが、その外にもいらっしゃるようです。 
「富津荘は常時いる事が無かったので、地区の行事に参加できないので、区費(町内会費)を他の方よりも多く払わせて頂いています。今回は病気療養としてこちらに来ることにしたのです。」今後は、体調が良ければ参加させていただくという旨を説明し、了解してもらいました。
回覧板についてのお話もありました。回しますか? と聞かれたのでぜひお願いしますと答え順番もお聞きしました。
「ゴミ出しのルールはご存じですか。」と言われたので、そういえば転入届をしたときに、ゴミ出しカレンダーをもらいましたが、毎年、年度の終わりに回覧板と一緒に配られるという事でした。 ゴミ出しのルールは板橋区よりも少し複雑なので気を付けなければならないと思っていました。そういう意味でもこのゴミ出しカレンダーはすごく便利です。

その後は昔話になりました。 何せ、もう60年くらい前からここに通っているわけですから、昔の様子は今でもしっかり覚えています。 

昔、あそこに魚屋さんがあって、そこから小鯵の刺身を買って、初めて小鯵を食べたらすごくおいしかった、そのお店はまもなくできたスーパーの中に入って営業していた。そのスーパーが無くなって次に買いに行ったお魚屋さんは・・・など。 Hさんは忘れていた記憶がよみがえってきたみたいで、ずいぶんといろいろな昔話をしました。 

現在の富津市の話などもしました。 すぐ近くにオートキャンプ場ができるという話も聞きました。 そこからの排水計画がなっていない、道路も狭いし、住民の散歩道でもあるし、オートキャンプ場ができるとなると交通量が増えるので、非常に危ないという話を聞き、署名運動して、改善してもらいましょう、という話まで出ました。  いつの間にか4時間が過ぎていました。

翌日、自宅の門のそばで、樹木の枝払いなどを考えてたっていましたらば、私達と同年配の、品の良い老夫婦が通りかかり、「こちらにお住まいですか?素晴らしい日本庭園ですね」と声を掛けられました。 「今度住むことにしました。よろしくお願いします」と返し、立ち話を始めてしまいました。庭にも回って、ピザ釜を見てもらい、「そのうちピザをご馳走します。」などともお話をしました。

30分以上離したと思います。そのご夫婦は散歩がてらどこかに用事があったようでしたが、「疲れた、もう帰ろう」と言って、きた道を戻られました。それができるというのが若いうちはできない、素晴らしいことだと思います。 帰り際に「今度ウチにお寄りください」と言われました。 

お宅の場所はお話で分かっています。近いうちにお伺いしようと思います。いつ倒れるかわからない夫婦です。 近所の老夫婦とのお付き合いを大事にしようと思います。 

富津での方々とあたらしいお付き合いをするのが非常に楽しみです。 それに、以前からの友人たちがこちらに来て、時間を忘れるくらいお話をするのも楽しみです。 このようなことを考えられる幸せを本当にありがたく感じ、心からの感謝です。 これらを皆様方に分けさせてもらわなければ、ここに来た意味もありません。 どうしたらよい良いか?これを考えるのはストレスのかからない悩みです。 うれしい悩みです。 ありがたい悩みです

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