富津公園イメージ

富津に移住する計画発動-その10

12月18日に静岡で農業をしている友人夫婦がお米をもってきてくれました。 毎年暮れになるとその年の新米、もち米を送ってくれていたのですが、女房殿が病気療養で富津に住むことになったと伝えたら、見舞いを兼ねてきてくれることになったものです。 友人自慢のお米で、蘊蓄をたっぷりと聞かされます。

事前に行っても良いかという電話があり、女房殿に「来ても良いか?」と、「本当に良いか?大丈夫か?」と聞きました。 自分としても、来るとなるといろいろと準備もあるし、考えなければならないこともできるし、体調がその時に良い状態かどうかなど心配の要素が多いのです。結果、「来てもらえばうれしい」という事で、来ることになった次第です。 2泊したいという事でした。
来た日にはああしてこうして、次の日かああしてそうしてなどと考えていました。 近所の病院をナビに登録してもらい、そこに着く予定時間を事前に知らせてもらい、病院の駐車場で待ち合わせることにしていたのですが、昼頃に「もう着いたよ」という連絡があって、少し慌てました。
結局、初日は、清水から富津までの道中の失敗談やら、昔話や何やら、話しするのが面白くて、大部分それに費やされました。夕食はおでんを用意しました。それだと、つまみながら話ができると思ったからです。的中。ずっとおしゃべりでした。女房殿たちは夜中の二時過ぎまで話をしたみたいです。 その時間頃にトイレに起きたら、「おやすみなさい」と言われました。農家は朝早いと思うのですが、翌朝は8時過ぎまで寝ていました。

二日目、やはり朝起きてからまたお話です。朝食は昨夜の残り。こういうところが気の置けない友人の良いところです。 昼を過ぎて、用意をするのが何なので、富津岬にある公園食堂のラーメンを食べに行きました。 おいしいからぜひ連れていきたいと思っていたお店です。「おいしい」「おいしい」と言って食べてくれました。 食事が終わって、ちらっと富津岬の周辺などを案内し富津荘に戻ったのですが、またお話。 何そんなに話すことがあるの?と思うかもしれませんが、話のタネは尽きることがありません。
晩御飯は行きつけの割烹寿司屋さんに行きました。息子や娘の家族と一緒に食事をするときの感覚で料理を頼みました。 悲しいかな、70歳前後の老夫婦二組では食べきれませんでした。「朝食、昼食が少し遅めだったからなあ」などと言い合って、結局お土産にしてもらいました。  その晩も女房殿たちは夜中の12時ころまで話をしたようです。 

翌朝、「昨夜は少し早めに切り上げた」と言っていました。 確かに朝、8時前には起きてきました。 「今日なるべく早い時間に帰る」と言って帰り支度をしました。朝食は昨夜のお土産を食べる事にしてありました。 朝から天ぷらとかお寿司とか豪華な食事です。
「もう帰る」とか言ってから、また1時間近くおしゃべり。10時半ころに見送りました。見送って、女房殿は「少し休む」と休みました。やはり疲れたのでしょうね。当然だと思います。 夕方「無事着いたよ。また行きたいね」という電話が入りました。良かった、安心しました。何事もなく家に無事に帰ってもらって終了です。

後日、訪問看護師さんや自分のかかりつけの先生からも、「それだけ長い時間、話ができたことは素晴らしい回復ですよ」と言ってもらえました。 療養のために富津へ移住したのは、良い判断だったようです。10月7日にこちらに来てから3か月もたっていないのに判断するには早すぎるというのはわかっています。 今までのところは、どうやら成功だったように思います。 そう思いたい。 

今後は少しでもこの地域に貢献してもらいたいな、と思っていますが、性急な、過大なこちらの希望は出しません。 忙しく、でも気長にやってもらいます。 「忙しく」というのは余計なことを考えないようにしてもらいたいからで、こき使うという意味ではありません。 念のため申し添えます。  近頃は、文脈を読まないで、一つの言葉だけを取り上げて、しかもその言葉の悪い意味だけで人を批判する輩が多くていやなのです。一般人に対するそれは無い、と思います。

誤解を恐れずもう一つ言わせてもらいますと、政治屋に対しては、もっともっと強く批判すべきと思っています。 言い訳で「ある言葉だけ取り上げて、不当な批判だ!」みたいなことを言うのばかりですが、言う前に考える知能が無いのが政治屋をやってはいけないと思います。 東京大学を出てキャリア官僚やってみたいなのはなおさらです。 他の人よりも優れた記憶力を試す入学試験に受かって、卒業しているのだから。  自分が言った趣旨と違うというなら、そういうことを理路整然と絶対に誤解を受けない言葉で説明ができるでしょうに。 そうすればそれで終わり。 きちんと説明ができないから、だめ

説明を出来ないで、言い訳は本当にみっともない。こじつけもみっともない。政治屋と言われたくない、政治家と言われたいのならば・・・
しかし、地元の後援者の中に、今回辞めても次回返り咲かせる、と言っているのには驚きました。国会議員の劣化が言われていますが、バカはバカしか選べない。バカに選ばれる。類は類を呼ぶし、朱に交われば赤くなるし、議事堂の中にはそういう人たちが多くいるようだから、劣化は当然の成り行きなのでしょう。

ユーチューブを見ていると、日本人は、他人に気を使って町を汚さないし、大きな声も出さない、民度が高い人たちが多いとかいう評判が世界的に言われているみたいです。日本礼賛みたいなのも多く見られます。 しかし優れた政治家が多いとかいう評判は、自分がユーチューブを見ている限り1回たりとも見たことはありません。一日中見ているわけではないし、英語はやめませんので、目に入らないのかもしれません。その時はごめんなさいとしか言えません。 しかし日本の政治屋の評判はそのようなものなのでしょう。きっと、世界的にはユーチューブに日本の政治屋を取り上げることは無駄なこと、価値のない事、みっともない事、バカげていることなのでしょう。  個人的な、狭い範囲の考えです。言い訳します。

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